私は「ジョージポットマンの平成史」というゲスな深夜番組が好きで、よく見ているのですが…
先日の放送で、日本は空前のパワースポットブームという特集をしていました。
確かに、あちらこちらでパワースポットだと銘打っており、東京の居酒屋ではその店のトイレがパワースポットだとのたまっております。
その番組自体は、毎回のテーマをエロにつなげて解明するゆる~い教養バラエティ番組なのですが、わりと冷静に且つ学術的に分析していて、なぜパワースポットブームなのか?を見たところ、日本国民が他力本願体質になったということが言えるそうです。
昔の日本人は、ヤマト男子(おのこ)として自力で道を開く精神というものが、当たり前のように教養として教え込まれ、戦後日本は敗戦国という逆境から経済大国へとなったのです。
現在ではゆとり教育をはじめ、1990年代から2000年にかけて、年間労働時間が2100時間から1800時間へと削減されたことにより、プライベートな時間が増えたんですね。
以前の日本人は、まずは仕事ありきで慌ただしかったのが、今では時間を持て余す国民性になったのです。
休みが多くていいじゃん!なんて思っているのは、現代っ子だけで、実際どのような弊害が生まれたかというと、考える時間が増えたんですね。
働き蟻のような国民性だった日本人は、いきなり時間ができたことでその余暇の過ごし方がわからなくて、どうしたらいいのか悩む人が増えました。
これにより急増したのが、『心の病』いわゆるウツ病です。
しかも21世紀を迎えたことで、未来に対する希望や夢が失われたとも言えます。
私らが小さい頃は、アトムやヤマト、マジンガー等に代表されるSFが大流行して、少年雑誌などでも21世紀の未来というタイトルで飛んでる車だとかロボット等のイラストが特集されてたりしました。
やはり来るべき21世紀に夢を見ていたのですね。
しかし21世紀を迎えたところで、車が空を飛んでいるわけでもなく、巨大ロボットが闊歩している世界ではないことに、一種の諦めのような風潮が広がり、現在では未来を語るよりも三丁目の夕日やJIN、1Q84のように過去を鑑みることが流行し、未来に希望が持てない時代になったんです。
想像(創造)する力が低下したことにより、昔描いた未来予想図は、テールランプを5回点滅させる現実的な思考へと変わっていったのです。
現実的=ネガティブ 空想的=ポジティブ
と見るならば、ネガティブ体質を容認する国民性となり、そこから抜け出すための癒しをパワースポットという言葉(場所ではなく)に求める流行となったのでしょうね。
そこに経済的観念が混じり、どこもかしこもパワースポットと呼ばれるようになり、ちょっとでも恩恵を受けるように他力をあてにする国民性になったと言えます。
だから私らのような商売が成り立ってるんですけどね
でもトイレまでもパワースポットと呼ぶのはどうなんやろか??