私が音楽に興味を持ったきっかけは間違いなく

ザ ビートルズ🇬🇧

 すぐさま友達とバンドやろうぜっ❣️

 と、いきり貧乏なのは知りつつ両親におねだりして通販メーカーの入門機のギターを購入してもらいギタリストの一歩を歩き始める。

 しかし多くのギタリスト同様安価で質の悪いギターとFが押さえられずバンドも2回程度のセッション以降空中解散状態😭

 ちなみにその時の課題曲というかきっかけになった曲は。


 ヘルプ!でした、実際自分がヘルプ状態になりましたが… 🤭


 その後ギター🎸も埃を被り挙句は友達に貸してしまう始末。

(その後ちゃんと練習しコピーバンドを結成しますてへぺろ


 そんな頃TVから衝撃的なCMが、


 なんじゃこりゃ〜‼️

 中2に進化してた我々は皆衝撃を受けます🫨

 そしてその後のヘビーメタルブーム〜のBOOWYのブレイクをリアルで見たわたし達世代は空前のバンドブームを迎えます。

 



 話しを本線に戻すと、このバンドブームに目をつけた各テレビ局は番組にバンドを出演させたがります。

 このひとつ前世代のロックバンド、吉田拓郎、甲斐バンドや矢沢永吉などはロックバンドがチャラチャラTVなんかに出てはいけない!みたいな流れがありフォークシンガーでさえヒット曲を出してもTVには出ない時代でした。

 勢いアイドルしか出演しないTV番組にいきなりロックバンドが出るようになって行きます。


 しかし当時はまだTV番組とロックミュージシャンには高い壁が聳え立っていました。

 


 明太ロックと言われ九州から出て来た彼らは

伝説の生放送番組ザベストテンに出演、司会の黒柳徹子や久米宏の質問攻撃を沢尻エリカ以上にフル無視して生放送に緊張感を与えます。

 



 しかしそんな彼らもTVのおかげでレコードも売れ大分TV慣れしていきます。

 調子に乗ったTV局は田舎から出て来た世間知らずの若者ミュージシャンを自分達の実験台にのせます。

 なんとパンクロックの本場ロンドンと東京の二次元生放送という暴挙に出ます。

 https://youtu.be/Xjap1GVIKlM?si=DJi9rp2uxDVm1vQs

 当時の技術的問題か、もちろん事前録音の口パク、

 失笑なスタジオゲストとよくわからないが集まったロンドンパンク達の反応えーんがしっかり映像に、笑笑。

 

 しかし当時のTV番組はこんな事気にしません。

 まだブレイク前のBOOWYなんかも夜のヒットスタジオでは視聴率だけしか考えない男、古舘伊○郎により数々の修羅場を迎えます。ショボーンショボーンショボーンショボーン


 ↑はもうヒットした後なので大分良いですが

初期はほんとに酷い無茶ぶりに今ではTVでベラベラ余計なことも喋るロックギタリスト布袋寅泰の顔もピクピクひきつります(根気よく動画を探せば出てくると思います)

 氷室京介もソロになってからは寡黙なキャラになりますがこの頃は圧力に負け割と話します(地元群馬の番組や気持ちを許してた山田邦子の番組ではめちゃくちゃ喋ります 笑笑)

 

 そんなロックミュージシャンやシンガソングライター(いまはアーティストと言うのかな)との高い壁をゆっくりと壊したのが


 タモさんことタモリではないでしょうか。

 自身も地方から這い上がり奇抜な芸でのし上がり、国民的番組の司会で不動の地位を築いたタモリのミュージックステーションでは雛壇に座るアーティストも安心してる様子が見て取れます。

 自身も苦労したバックボーンや芸を披露する立場から視聴率の為にアーティストに無茶ぶりしたり変な質問は一切しません。

 前出の古舘○知郎とは大違いですねグラサン


 そんなアーティスト達とTVの壁をぶち壊したタモリさんも引退を示唆し始めてます。

 安心してください😮‍💨

 ブラタモリは私が引き継ぎます‼️

 と言いたいところですが、タモさんまだまだお願いします 笑笑

 お笑い芸人の大御所と言われながらも週刊誌に追われる彼達とお笑いビッグスリーの違いはこういうところではないでしょうか。

 3千円で口止めとか…えーん

 ミュージックステーションではみんなお行儀良く雛壇に座ってますね照れ


伝説のドタキャンロシアデュオ以外は 笑笑


 次回 勘違いされた曲 ボーンインザUSA🇺🇸

 乞うご期待❤️