心地良さについて考えていこうと思う。

 いや、もう既に心地良さについては色々話してきた。なのでこれは独白みたいなもんだな。ってかそうだ。



 突然こんな話をされても訳が分からないと思うので、事の始まりから触れていこうと思う。

 


 事の始まりはこんな感じだった。



 俺自身の将来をどうするか、どうしていくかについて考えた時、あまり良い案が浮かんでこなくて中々決めることができなかった。そんな俺をみかねて、共にYouTube活動をしている一真と、彼のパートナーであるスピリチュアルリストの和美さんから

 「自分の心地良さをベースに考えた方が良いんじゃない」

 そんなアドバイスを貰った。
 物事を決めたり考えたりする際に、これが根幹にないと色々厄介なことになってくるからだ。と言うのも心地良くない状態で何かをしたりすると概してその結果も心地良いものではなくなる。

 それはそうだろう。「嫌だなぁ、不快だなぁ」って思いながらやった事が良い気分になる訳がない。

 二人の意見を聞いて、まずは自分の心地良いを思い返すことにした。



 が、いざ振り返ってみると自分自身の心地良いが分からなかったのだ。これを読んでいる貴女にも問いかけたい。














 「貴女の心地良いって何ですか?」
















 俺はすぐに答える事が出来なかった。自分がどんな時に心地良い状態を感じるのか、またどんな時に心地良いを感じていたのか答える事が出来なかったのだ。
 自分の事なのに全然分からなかった。ので、少し集中して考えることにした。











 「俺ってどんな時に心地良いって感じるんだろう」











 すぐには出てこないが色々想いを馳せていると、自然の中に心地良いを感じることに気がついた。この自然というのはありふれたもので、朝起きた時にみる陽の光だったり、外に出た時に感じる心地良い風とか、吸い込まれそうになる程広大な空を見上げた時とか、自然の美しさを肌で感じた時に「心地良さ」を感じていたのだ。










「良かった。ちゃんと分かってるじゃん、俺」











 自分の心地良いをすぐに見つける事が出来て一安心したのだが、俺の中に小さな不安がすぐに湧いてきた。















 「それを感じるだけで俺はやっていけるのか?」











 俺が感じたこの不安は「それって面白いの?」っていう類の不安だった。

 自然を見るのは好きだ。植物は多ければ多いほど良い。それは言い過ぎかもしれないが、将来自分の空間を整える時には自然で溢れさせようと思うくらいには良いのもだと思っている。しかし、俺はそこの楽しみをみつけられるかが不安だった。

 自然を見るのは確かに心地が良いが、ただ心地が良いだけで、腹の底から笑顔になれるかが心配になったのだ。自然を眺めて心地良いを味わっている自分というものをイメージした時に、穏やかに微笑んでいて、今にでも溶けて消えていってしまうのではないのかと思うほど、淡く朗らかな感じがしたのだ。

 確かに、そういう穏やかで優しい自分でありたいが、それって楽しいのか?俺は満足出来るのか?自分がイメージする「心地良さ」がとても薄味に感じたのだ。









 「ゲームとかしないと面白くないんじゃね?」









 刺激不足な「心地良さ」に不安を覚え、それを拭うようにゲームをしたいと思う様になったのだ。しかし、そんな考えはすぐにまやかしである事にも気がついたのだ。
 心地良さを補う為にゲームをしようとする。これってイメージした「心地良い」が薄味だと感じたからであって本来自然というのはそのあまりの美しさで魂を震えさせるものなのだが、俺の感性はそれを刺激不足と認識してしまっているのだ。

 薄味。

 味の濃さが足りないのでそこに醤油や調味料をぶちまけて味覚に刺激を与える。




 俺がやっているのはそういった類のものだ。味覚、つまり感性が鈍ってしまっている為に、自然を、俺がイメージした「心地良い」を薄味だと認識してしまっていたのだ。



 俺の感性はそれ程までに鈍化してしまっているのだ。それ故に自分の「心地良い」状態を思い馳せる事が出来ないのだ。















 「自分の心地良い状態が分からない」










 いつからそうなってしまったのかは分からないが、気がついたらこうなっていた。これは由々しき問題である。

 が、そう騒ぎ立てるものでもない。何故なら、気がつくのに時間がかかるだけでちゃんと自分の心地良い状態というのは見つける事が出来るからだ。このブログを読んでいる方も自分の心地良いを見つける事ができるはずだ。パッと思いつくのが難しいかもしれないが、リラックスしてぼんやりと思うだけでたぶん心当たりに行き着くと思う。





 話を戻すが、俺はいつの間にか感性が鈍化しており、味が濃いものばかり求めるようになっていた。
 その事を一真と和美さんに話すと………………まぁ俺のプライドと呼ばれるものを自覚するための目覚ましビンタ(比喩ね。物理的にビンタされてる訳じゃないヨ)を頂戴することになった。「目覚ましビンタ」なんて言葉を用いたが、痛いと思うのは俺の中に自覚がありそれを隠しているから痛いと感じているのである。つまり「誤魔化し」である。


 俺の中のプライドや偽りがそれを必死に隠そうとしているのである。しかしそれをどうにかしたいと思う俺もまた存在しているのである。だからこそ活路を求めて二人に意見を乞うたのだ。が、痛いものは痛い。





 そんなこんなで本日のYouTubeで話す内容が決まり、「心地良さ」について話していくのだが、基本俺への問いかけである。

 一真が俺に問いかけ、俺がそれに答えていくスタイル。そうやって俺の心地良いやその他諸々を浮き彫りにしていくのだが、良い動画が出来るまで3回も取り直したのだ。我々のYouTubeは基本一発撮りスタイルでやっているので何回も撮り直すというのはあまりなく、少し驚いた。
 個人的には綺麗に尺に収まって、話のオチもついていたので良い動画が撮れたと思っていたのだが、一真の中ではしっくりきていなかったのだろう。リテイクを要求してきたのである。俺としてはもうどうしいけば良いのかとか、二人の意見、話を聞いたので、聞く前の自分とは確実に違っていたのでそれを忘れて話すのなんて出来ないと思ったのだ。
 簡単な話、知らないフリをしてもう一回撮るのである。

 俺が質問に答えるスタイルなので、さっきまで必死になって考えた答えを忘れて、もう一回考え直すのなんて、そんな演技をするのは無理だと思った。当然、俺はリテイクを拒否した。

 が、何度かの押し問答の末、俺は折れることにした。一真がこう納得していない時というのは大体物事に違和感がある時なのだ。そしてその違和感を見逃すと後々、俺にとって良くないことであることは彼の優しさを知っていれば充分理解出来るので彼の意見を通すことにした。



 そんなこんなで2回目の収録もこなし、2回目の割に新鮮味を保ったまま良い感じに撮れたなと思っていたのだが、まさかのリテイクが来た。
 どうやらまだまだ納得していないようでもう一回撮り直したいとのことだった。


 流石に何度も問いを投げかけられ、俺は尋問されている様な気分を味わっていたので、リテイクは絶対とは言わないもののしたくなかった。これ以上収録を続け、問われ続けたら絶対に俺の恥ずかしいボロが出ると思ったのである。
 




 俺がひた隠しにしているもの。俺がやるべきことをやらずに怠惰に過ごしている理由。そういったものが白日の元に晒されてしまうと思ったのである。








 そうなると直感的に分かっていたので、何とかかわそうとしていたが、これはもう何度も彼らから言われた「プライド」だと分かっていたので、撮りなおすことに同意した。プライドを持っていると厄介なことになるのは彼らの話を聞いて重々理解しているつもりであったので何回でもリテイクするつもりで収録ボタンを押した。











 さて、そうして収録を開始したのだが、俺の声は取り繕う間もなくどんよりしており、欝蒼としている事が一目で分かる状態だった。いや、一目というか一聴き?とにかく誤魔化しが効かない状態だった。
 そんな状態のまま問いかけが繰り返されたので俺はそのまま答えるしかなかった。時折、聞かれたくない、問われたくないなって思う様な問いが飛んでくるのだが、答えるのにそれなりの時間を要しながら答えていった。






 そんなこんなで質問に答えていくと、俺の悪習慣が見えてきた。







 それは感性を鈍化させ、自分自身を分からなくさせ、魂との繋がりが途切れてしまうそんな悪習慣だ。











 俺は自分自身について考えると、必ずどこかで詰まってしまうのだ。

 なりたい自分、こうしたい、こう生きたい。

 そういった事をイメージして想像するのは好きだが、


 「じゃあ、具体的どうする?」


 その問いかけが自分の中に生まれると、途端に考えたり想像することが億劫になってしまうのだ。
 現実問題、金銭面や時間等、そういったあれこれを考えると、さっきまで目の前に感じていた心地良い未来が、遥か遠い未来に思えて一気に冷めてしまうのだ。ゴールまでの道筋を立てるのがイメージ出来なくて面倒臭くなってしまうのだ。

 そうするとどうなるかと言えば、考える事が嫌なので考えなくて良くてそれで刺激的なものを求める様になる。それがゲームだ。

 ゲームをすることにより、目を逸らした気になって思考を停止させるのだ。思考を止めているとその内もっと味が濃いものを欲し、YouTubeを見たりする様になる。それも同時に。



 しかし、そんな怠惰な状況でも魂というものは震えるもので、ずっと罪悪感の様なものが内から湧き上がってくるのだ。



 その罪悪感がずーっとこびりついており、それを感じたくなくて更に味の濃いもので誤魔化そうとする。この負のループが俺の感性を鈍化させる悪習慣ということに気がついたのだ。

 少し休憩するのは良いと思うのだが、俺はやるべき事、自分で決めた事をやらずに、目を逸らしているのでずっと「心地よくない状態」に浸っていたのだ。

 どんなに感性を鈍化させ、自分自身に鈍くなってもそれは「心地よくない」を通して俺自身に訴えかけてくれていたのだと、今こうしてブログを書いていて改めて思う。





 さて、それでは俺はどうすれば良いのか。どうすれば現状を変える事が出来るのか、それも一真と一緒に考えていった結果、俺は

 「行動し続けるしかない」

 と、理解した。



 俺が感じる心地よくない時というのは、やるべき事や、決めた事をやらずに怠惰に過ごしてる状況で、そうやって過ごしている自分のことを好きになんかなれない。
 そう思いつつも感じ考えることを怠りゲームやYouTubeで脳みそにジャンクフードを与え続けていたのだから、俺はまずこの習慣から変える必要があることを理解した。





 そういったジャンクフードは感じ考えることを止め、自分の心地良いを味わう時間をなくしてしまう。しかも続けば続けるほど、もっと刺激的なものを求めるようになっていくのだ。
 これにハマると中々抜け出すのが難しい。





 なので、まずはこういった悪習慣を一つでも良いから辞め、代わりに自分が心地良いと感じる時間を増やす事が大切になってくる。





 やるべき事や自分で決めたことをせず、ウジウジしているのが心地よくないのであれば、逆にやるべき事や自分が決めたことをやっている時は罪悪感なんてないし、出来た時はむしろ達成感があり、「心地良い」。なので俺は心地良いと感じるまで足を止めてはならなかったのだ。





 簡単に言うが、悪習慣というのは昨日今日で身についたものではなく、長い時間をかけて習慣化させたものだから変えるのは容易ではない。だから俺はこの先何度も、

 「分かって居ながらゲームをしてしまうかもしれない」
 
 いや、この書き方は保険をかけた書き方だ。まだまだゲームをしないとかYouTubeを観ないと宣言するのが怖いのだ。悪習慣を手放せないでいる。たぶん、これがプライドとか偽りってやつなんだろうな。

 が、それを仕方ないで済ましてはいけない。何度失敗してでも立ち上がって行動し続ける事が大切なのだ。




 失敗しても休んでも良いけど、「歩み」だけは止めてはならない。


 なので俺は自分の心地良いからブレない様に「行動」していこうと思う。












 長くなりましたが、読んで頂きありがとうございます。また次回をお楽しみに👋