本日は癒しをテーマに感じ考え思索していきたいと思う。



 さて、今日は何故このテーマを選んだのか?それから書いていきますか。


 僕が書く小説の中には「癒し」について若干触れている部分があるのですが、自分の中の「癒しとは何か?」という己の哲学が育っていない事に気がついたので、それについて考えながら書いていきたいと思ったので本日はこのテーマをピックアップしました。





 癒しとは何か?

 やっぱすぐに出てくるのは心身の癒しとかですよね。心と体をリラックスさせるといいますか、綺麗な状態にするイメージがありますね。

 そして癒された人は元気になる。そんな印象を持っています。





 ふむ、それは俺が「癒し」というものに対して抱いている印象やイメージであって「癒しとは何か?」の答えでは無いと思うな。まずは俺が思う「癒し」を書いていくのが良いのでは?

 
 俺が思う「癒し」…………ね。何だろうな、人の心と体を癒す………簡単に言ったら治すってイメージかな。人には本来あるべき姿というか調和の取れた状態があると思うんだよ。で、調子を崩している人、心や体に不調をきたしている人、つまり自身の調和が乱れている人を、調和の取れた状態に戻す事を「癒し」と言うんじゃないかと思う。




 おん?と、なると俺の中に一個の疑問が湧いてくる。



 「癒しとは対処療法なのか?」




 対処療法が悪いという話ではない。

 不調和に対してアプローチをかけて調和に戻す事を癒しと呼ぶのであれば、根本の解決に至っていないので不調和はまた戻ってくるのでは?

 簡単な例を挙げるとしたら、

 タバコを吸う人の肺が悪くなり、それを癒して綺麗な肺に戻したとしよう。

 が、その人の中にタバコを吸うという習慣がある限り、肺はまた悪くなるのは火をみるより明らかなのでは?

 再び悪くなるものを一時的に元通りにするというのは、果たして「癒した」と言えるのだろうか?



 

 うーむ、そうなると癒したとは言い辛いのかな?調和に戻す事を「癒し」と呼ぶのであれば、再び不調和が訪れる状態を果たして癒したと言えるのだろうか?

 あ、そうか。分かった、俺がさっきあげた例は完全に癒した訳ではないんだ!

 もし、完全に癒せたのであれば、そもそもタバコを吸う習慣とかも改善出来ているはずだ。それなのに再びタバコを始めるというのは、そもそも根本的に癒されてないから再び不調和が起きるんだ。





 ふむ、そうなると癒し手の技量が足りてないって話にならないか?癒し手ならば完全に癒す事が出来るのでは?

 
 うーん、いやどうだろうな。そういう訳でもないのでは?人の事を変えるのって、根本的には出来ないんじゃないかと思う。自分が変わるか変わらないかは本人の意思、一人一人の意思に委ねられているのだから、癒し手の全責任って訳にはいかないよな。
 そもそもの話をするのであれば、自身に不調和を起こしているのは誰なんだ?って話になるしな。全てを癒し手の技量のせいにしている限りは、自身に癒しを
もたらす事は出来ないんじゃないか?



 
 と、そんな事を思いつつ、結局癒しって何なん?って感じだ。





 癒しって何だ?

 うーん、そもそもの土台がおかしいのか?考える場所が違うというか。

 俺が人を癒すとしたらどんな感じになるのか?そもそも俺に人を癒す事は出来るのだろうか?



 
 これ良いな。



 「俺は人を癒す事は出来るのか?」


 これを軸に考えていった方が進むんじゃないのか?

 さて、シンプルに答えていこう。

 この問いに対してイエスかノーで答えるのであれば、それは勿論イエスだ。

 万人を癒やせと言われたら話は変わってくるけど、俺の存在というのは、もうそれだけで誰かを癒す事が出来ると思う。というかこれは俺に限った話ではなく、皆んな誰かしらの癒しになっていると思うんだ。もしかしたら今現在誰とも交流がなくて世界で一人ぼっちだと思っている方もいらっしゃるかもしれないが、明日のあなたはそうじゃないかもしれない。きっと今の経験を誰かと分かち合う事によって誰かの心を癒す事が出来るかもしれない。
 同様に、俺自身も、もうなんて言うか存在そのものが誰かにとっての癒しとなりうると思う。



 ん?


 待て待て、俺が今使った癒しというニュアンスは前半のそれとは違うものになっていないか?

 俺の存在が誰かの癒しになると書いたけど、誰かの不調和を調和に戻したとかそういう訳ではないぞ。

 ん?どういう事だ。て、事はだ。不調和を調和に戻す事が癒しではないのかもしれない。

 いや、もしかしたらそれは「癒し」という大きな力の持つただの1側面なのかもしれない。

 不調和を整え調和をもたらす事が癒しなのかもしれないし、それだけに止まらず、誰かの心を温める事もまた癒しと呼べるのではないのだろうか?




 後半のフレーズ良いな。誰かの心を温める事も癒しと呼べるのかもしれない。

 キツい想いをしている人の心を解す癒しって何か良いよな。人の優しさを感じるというか。心の繋がりって感じで素敵よな。

 そう考えると、もしかしたら現代の人達はそういう癒しを多く求めているのかもしれないな。自身の心に寂しさや孤独を抱えている人が多いのかもしれない。

 そういったものを癒すってのは……………あったかいよな。



 簡単に癒す癒すって言ってるけど、癒しとはとても深く意義深いものなのかもしれないな。それでいて日常にあるものというか。特別だけど特別じゃないというか、誰しもが出来るものでもあるのかもしれない。






 はーーー、そうやって書いてみると、俺の中に癒しの種類みたいなものが見えてきたな。

 「癒し」って大まかに一括りにしてるけど、癒しにも多分グラデーションがあるし、ジャンルというかベクトルみたいなものがあるのかもしれない。

 癒しを一括りにして混同してたな。





 こう、不思議な力で人の病気を癒したり、ヒーリングみたいなものは何だろう、研鑽とかによって身につけていく技術なのかもしれない。

 逆に普段の生活の中でも行える心遣いとかは、意識というか自分の気の持ちようで誰しもが今すぐ実践可能なものなのかもしれない。






 ほうほう、少しずつ進んできた感はあるな。


 ふむ、病気とかを治す事を癒しと呼ぶのか?って考えたら病院で処方箋を頂く事も癒しなのかな?手術を受ける事は癒しなのか?

 それは癒しというよりも、何だろう。治療とか手術って言った方が適切な感じがするな。




 ではヒーリングと手術の違いとは?どこに癒しかそうではないかの差が生まれるのだ?



 心か?

 心にアプローチをかけるか否かの違いか?



 手術もお医者さんの優しさとか熱意が反映されたりすると思うが、どっちかっていうと体にアプローチをかける事に重きが置かれている気がする。

 対してヒーリング等は心、つまり精神を通して体にアプローチをかけるというか、心を癒す事に重きを置いていると思う。




 そうか、自然と使ったけど癒すってのは心を癒すって事なのかもしれない。


 体だけでなく、むしろ心がメインで体は後から追いついてくるというか、心を癒す事によって体も癒すって言うのが


 「癒し」


 なのかもしれないな。




 いや〜、このテーマは深いぞ。いやこのテーマに限らずだけど、絶対にまだまだ奥行きがあると思うわ。









 今回限りの単発で終わるんじゃなくて普段から感じ考えていきたいテーマだな。

 今日はこんな感じかな?




 というわけで本日も読んで頂きありがとうございます、また次回の記事をお楽しみに〜👋






ps

 あれ、読み返してみたら一周回って最初に戻った気がs…………いや、このまま感じ考え続けていきたいと思います。










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