GWの高速道路の帰り道。暗い夜道の中を車を走らせていく。

非日常空間からか、数年前までは助手席には嫁が乗り、後部座席で寝ている子供を確認して、子供の進路、将来について語り合っていた。

 

そんなことは日常的にすればいいのだが、日常的に話をすればいろいろ計算した現実的な話になってしまう。でも、旅行の帰り、夢から現実に覚めるまでの間だけは、不思議とお互いの打算的のない、心情を打ち明ける。

 

もちろん、自分の心情。いろんな背景を無視しての思い。

 

『自分は子供が18歳までを逆算して、こうしていきたい』

要所要所では言うが、基本、あまり口を出さないし任せている。価値観、人生観は折に触れて言うのみ。その変わり、自分が出るときは1、2時間は差し向える。

 

その回数は段々と少なくなった。最近では、上の子が助手席に座るようになった。

『投資ってどうなの?YOUTUBUで見たりするけど、あんなに儲かるの?』

 

自分が投資をしてるのは知っている。実際、利益の決済で意図的に子供にさせたこともある。

 

よくよく話を聞いてみると、FXで儲けた人間が自分のブランド品を自慢する内容だった。

最初の通過点だ。『投資をすれば、簡単に利益が出る』よくあるパターン。

 

子供も今年高校生になった。田舎から街に出て、いろいろと出費もある。周りの目もある。できるなら余力の金も欲しい。

 

自分の投資パターンも数通りある。デイトレも教えてもいい。四苦八苦して辿り着いたが、多分、子供の方が成功する。投資とはいえ、マネーゲーム。要領さえ掴めば、億り人さえなれるかもしれない。

 

自分が失敗と失敗を重ねてたどり着いた。リスクのポイントも分かる。そのルールをベースにして、自分なりにアレンジすればきっと成功していく。

 

が、できるなら20代前半は苦労してほしい。労働して得る対価。お金を得る苦労と有難み。そして、お金がないみじめさ。

 

子供のために缶に500円玉貯金をしている。独り立ちして、生活に苦しくていざというとき使えるように。数十万以上はある。これを開けるかどうかも試している。

 

『同級生で投資をしているのはいるのか?』

『いないね。そんな話も出ない』

少し意外だった。世間ではNISAだ騒いでいるが、進学校に入っているだけに多少はいるかと思った。まあ、儲けるイコール生臭いからそんなものか。

 

高速の帰り道の道中、投資についていろんな話をした。FXの仕組み、株の現物、信用取引、NISA、自分の実体験。投資に年齢は関係ない。必ず、将来で投資は不可欠になるのはまちがいない。

 

15歳で投資を知る。自分なら考えられないことだ。でも、それが時代の流れ。実際、嫁は知ろうともしない。それは先入観。苦労して、頑張れば報われる。

 

そんな時代は自分世代までだ。そのさまもバカバカしい。

この先、時代は変わる。取り残されるのはただ嘆くだけ。

 

『掴めよ。段階的に教える分は教える。あとは自分で掴め。ただ金を一番上に置くな。どこまでいっても金は金だ。金を扱えるようにしろよ』

この意味が卒業までに分かるといい。自分はそれに気付くのは社会人になってからだ。

 

この意味がどれだけ深いのか。

『分かった』とだけ言ってそれ以上は言わなかった。それだけでもとりあえずは十分か。