こんにちは。穎才学院教務です。

本日は国公立大学前期入学試験の試験日です。

東京大学では「国語」などの試験が実施されました。

今年の東大国語第1問は、内田樹の「反知性主者たちの肖像」によるものでした。

この「反知性主者たちの肖像」という文章は、晶文社から出た『日本の反知性主義』という本におさめられています。



この文章で、「反知性的な人間」は

「理非の判断はすでに済んでいる。あなたに代わって私がもう判断を済ませた。だから、あなたが何を考えようと、それによって私の主張することの真理性には何の影響も及ぼさない」

と周りの人たちに告げるものだ、と説明されています。

こういう人、身のまわりにいますよね。

自説の正統性を疑うことがない。相手を「論破」したがる。その場・その時のことしか考えないから、その場・その時に誤りを指摘される可能性が無ければ、平気で話に尾鰭を付けたり、嘘をついたりする…。

要は、お子様だということです。

でも、『日本の反知性主義』の24頁(東大入試問題本文として抜かれた部分より後)で指摘されている通り、そういった人たちの中には、知識人だと思われがちな人間も含まれます。内田樹先生は、ご自身の文章でそういった人たちのことを「ウッドビー知識人」と呼んでいます。

お子様やウッドビー知識人たちは、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができません。

だから、「自分はそれについてはよく知らない」と涼しく認めることは全く無いし、「自説に固執」してばかりいる。

知的な人は、そんなことはしません。

東大入試の本文にもある通り、そもそも「知性というのは個人に属するというより、集団的な現象」であるのです。

世の中には、その人がいることでその人が属する組織の知的パフォーマンスが向上するというタイプの人がいます。

マンガ『ONE PIECE』に登場する海賊「ルフィ」は、その好例です。

彼がいることで彼が属する「麦わらの一味」のパフォーマンスは劇的に上昇している。

もちろん、ルフィは高い学歴を持っていたり、社会的に評価の高い資格を有していたりするわけではありません。

でも、ルフィがいるおかげで、麦わらの一味はさまざまな困難をくぐりぬけ、目的である「ひとくくりの大秘宝」への航海を続けることができている。

そういった人たちが、「知性的」な人物だと考えられるというのです。

『日本の反知性主義』の23頁(東大入試問題本文として抜かれた部分の最後)には、こうあります。

個人的な知的能力はずいぶん高いようだが、その人がいるせいで周囲から笑いが消え、疑心暗鬼を生じ、勤労意欲が低下し、誰も創意工夫の提案をしなくなるというようなことは現実にしばしば起こる。きわめて頻繁に起こっている。その人が活発にご本人の「知力」を発動しているせいで、彼の所属する集団全体の知的パフォーマンスが下がってしまうという場合、私はそういう人を「反知性的」とみなすことにしている。これまでのところ、この基準を適用して人物鑑定を過ったことはない。

なるほど、『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』にでてくる「沖田仁美」管理官(真矢みき)のことですね。



劇中、

「事件は会議室で起きてるの。」

「所轄の仕事なんか、どうだっていいでしょう?」

といったセリフで捜査員の意欲とパフォーマンスを減殺させまくった沖田管理官はここで言う「反知性的」な人間の好例です。

もちろんこの物語は、「知性的」な指揮官としての「室井慎次 」管理官(柳葉敏郎)が捜査本部長となることによってフィナーレをむかえます。

その人がいることによって、その人の発言やふるまいによって、彼の属する集団全体の知的パフォーマンスが、彼がいない場合よりも高まった場合に、事後的にその人は「知性的」な人物だったと判定される。『日本の反知性主義』23頁

沖田管理官が本部長の任から降ろされた直後、室井管理官は捜査本部で捜査員たちに言います。

「捜査を立てなおす。被疑者はこの辺の地理に詳しい。地図にない所に隠れているはずだ。地図にない個所を教えてくれ。最近になって建てられた建物、トンネル、なんでもいい。捜査員に関わらず役職や階級は忘れてくれ。」

この室井管理官の姿勢と、直後の青島捜査官の振舞により、沈滞していた捜査本部は息をふきかえしました。

室井管理官は自身の警察官としての能力や経験を、捜査本部の活性化、つまり事件の解決可能性の増大のために費やしまいた。

私たちの生きる社会における「知性」の役割もそれとよく似ています。

知性は私たちの生きる社会を活性化させるために、社会を今よりも良い状態にするために積み増されるべきである、というのです。

「知性というのは個人においてではなく、集団として発動するものだ」(東大入試問題本文より)というのは、そういうことだと私は思います。