私はせどりキング4というソフトを使って輸出と輸入を分けている。
というか、最初はそのようにしていたわけだが、スタートアップの段階である私にとって、日にちが経つごとに明らかに輸入と輸出との差が開けてくるのがわかってきた。
むろん、輸出は慣れていない面もあろうが、慣れていたとしても色々な面で関門があり手数料というものが発生するわけだが、輸入はすでに二か月目でFBAは3度納品しているのに輸出は未だに転送業者(MyUS)から米アマゾンに届いていない。米アマゾンからも30日待って届かないと削除される?みたいなメールが送られてきた。やや遅めで設定してはいるのだがさすがに遅いと思いFedEXと念のため米Amazonにも問い合わせている。
ここでも難関が・・・FedEXのお問い合わせメールの入力項目が多くて面倒くさい。でも何とか必須なところだけ入力すれば送信することができたし、あと、ちゃんとしたトラッキング番号を介しお問い合わせメールがあるようだから、米Amazonがまだ届いていないというなら、そこで聞いてみたい。
輸出では20万近く投資しているが未だに納品すら至っていない。この一回目がちゃんとするまでは部屋に念を置いて、置いたままである。むろん、自己発送として商品登録は済ましているが、高い値段だから売れるわけはない。
そういうわけであるから、やはり落ち着くまでは輸入に徹していきたいと考えている。
輸出の大きなメリットとしては商品リサーチが多くある事だと認識している。人口的にも広大であり、ホリデーシーズンの売れ行きには期待感がある。
さて、270万ほどの自己資金が残り180万になっている。何より、生活費も含んでいるため、スタート二か月目で恐怖感と期待感が混在しているのはいうまでもない。しかしこれが軌道に乗れば20歳からの20年間のどん底人生が嘘のように夢の人生になる。
私にそれはありえないといういわくつきにもなっている己と批判する人々との思い込みとの葛藤といえばそうだが、でも今はただやるしかないという感じだろう。幸いなことにPCだけは得意分野であると思っているし、人と接しなけらば意外とうまくいくことが多かった人生であることは己が一番よく知っている。でも、そうとも言い切れないのが人生の怖いところでもある。
人々は誰しも死にゆく。若い時何もわからないときは他人事だったが、40にもなると他人事ではなくなってくるのと同時に、健在な祖父母や両親への心配も膨らんでくる。
なぜ人は病という苦しみがあり、死という恐怖と苦しみがあり、あらゆる痛みというのがあるのだろうか。それが自然といえばそうだが、だとすればすべて地球で起こっている事象そのものが自然ということにもなる。
厳密にはシリアでの宗教上での争いと不条理な殺戮や国内でも誰かもわからない者に刺されたりと、非常に残念に思い悔しさも溢れるが、終わってしまったものは無念でしかない。私一人ではそれらがおこったとて、どうすることもできない。できることはそのようなことが二度とないように、我が身辺で起こらぬようにと願うのみである。
というか、最初はそのようにしていたわけだが、スタートアップの段階である私にとって、日にちが経つごとに明らかに輸入と輸出との差が開けてくるのがわかってきた。
むろん、輸出は慣れていない面もあろうが、慣れていたとしても色々な面で関門があり手数料というものが発生するわけだが、輸入はすでに二か月目でFBAは3度納品しているのに輸出は未だに転送業者(MyUS)から米アマゾンに届いていない。米アマゾンからも30日待って届かないと削除される?みたいなメールが送られてきた。やや遅めで設定してはいるのだがさすがに遅いと思いFedEXと念のため米Amazonにも問い合わせている。
ここでも難関が・・・FedEXのお問い合わせメールの入力項目が多くて面倒くさい。でも何とか必須なところだけ入力すれば送信することができたし、あと、ちゃんとしたトラッキング番号を介しお問い合わせメールがあるようだから、米Amazonがまだ届いていないというなら、そこで聞いてみたい。
輸出では20万近く投資しているが未だに納品すら至っていない。この一回目がちゃんとするまでは部屋に念を置いて、置いたままである。むろん、自己発送として商品登録は済ましているが、高い値段だから売れるわけはない。
そういうわけであるから、やはり落ち着くまでは輸入に徹していきたいと考えている。
輸出の大きなメリットとしては商品リサーチが多くある事だと認識している。人口的にも広大であり、ホリデーシーズンの売れ行きには期待感がある。
さて、270万ほどの自己資金が残り180万になっている。何より、生活費も含んでいるため、スタート二か月目で恐怖感と期待感が混在しているのはいうまでもない。しかしこれが軌道に乗れば20歳からの20年間のどん底人生が嘘のように夢の人生になる。
私にそれはありえないといういわくつきにもなっている己と批判する人々との思い込みとの葛藤といえばそうだが、でも今はただやるしかないという感じだろう。幸いなことにPCだけは得意分野であると思っているし、人と接しなけらば意外とうまくいくことが多かった人生であることは己が一番よく知っている。でも、そうとも言い切れないのが人生の怖いところでもある。
人々は誰しも死にゆく。若い時何もわからないときは他人事だったが、40にもなると他人事ではなくなってくるのと同時に、健在な祖父母や両親への心配も膨らんでくる。
なぜ人は病という苦しみがあり、死という恐怖と苦しみがあり、あらゆる痛みというのがあるのだろうか。それが自然といえばそうだが、だとすればすべて地球で起こっている事象そのものが自然ということにもなる。
厳密にはシリアでの宗教上での争いと不条理な殺戮や国内でも誰かもわからない者に刺されたりと、非常に残念に思い悔しさも溢れるが、終わってしまったものは無念でしかない。私一人ではそれらがおこったとて、どうすることもできない。できることはそのようなことが二度とないように、我が身辺で起こらぬようにと願うのみである。