いろいろと調べるとだいぶ、隠ぺいや歴史が書き換えられている事が、ありますね。
母親の実家は、確かに大昔は豪族である事は間違えありません。ここから、謎の部分です。
京都に朝廷を開いたのは何処の豪族かちゃんと
歴史書に書いてありますか?藤原や蘇我だの書かれていますが、何処の豪族かは書かれていません。謎だらけですが、母方の実家は間違えなく皇子の身位だったのは間違えありません。北朝廷も疑問はあります。まったくの偽物かどうかも分かりません。皇子は100人いた訳ですからまったくの偽物ではないかも知れません。足利尊氏が京都に幕府を開き、後醍醐天皇を奈良に追いやった事は間違えありません。何れにせよ南北朝廷は後付けです。持統院で呼ぶのが正しい呼び方です。後醍醐天皇な破れ一族は、滅びました。
北朝廷が後を継ぎますが、何処の皇子ならば母親の実家も立派な皇族です。ただ言えるのは、時の天皇が、ばらばらに皇子を作ったと言うことです。足利幕府が北朝廷の時天皇の血筋なら、ずっと同じ血縁関係です。その他の皇子は南朝廷の末裔とされ身位を剥奪され農家になったのが本 当だと思います。