4/16に書いていたブログです。
事実上の満月の日の夜、久しぶりにピアノを弾くことが出来た。
凄く幸せな時間だった。
自分との対話、
ピアノと自分との対話。
作曲家との対話、
そこからたくさんのインスピレーションを受け取って。
「ああ、、これが、『私』なんだな。
これが、私のピアノ(演奏、個性)なんだ。」
と、しみじみと感じる時間となった。
そして強く感じたことは、
「病気があろうと何があろうと、
私は、自分のペースでピアノを弾き続け、
自分を、
自分の内面を、
『自分という人間の存在』を、表現していくことこそが、私の人生なのだ」
ということだった。
体調が悪く、寝込む日も多いが、
私という人間は、
内面には、「表現すること」に対するエネルギー、情熱が、満ち満ちているのだ。
「自分」というものをピアノを通して表現しているとき、この上ない幸せを感じる。
愛、希望、美しく、素晴らしい世界。
でも決してそれは、現実逃避の世界ではない。
私は、
わりとぽよぽよしているところはあるけれども、
物凄くリアリストで、かなり厳しい面も持ち合わせている。
まして人生ハードモードなことが多かったから、
心の痛みは、子どもの頃から、悲しいかな、たくさん味わってきた。
そんな私が日頃感じることや、感性は、
「言葉じゃ表現できない世界なのだ」ということを、この日、改めて知った。
信じられないかもしれないが、
ピアノを通せば、それらは全て、伝えられるのだ。少なくとも、私にとっては。
演奏する曲の中には、私の「心」があって、
伝えたい「感情」があって、
それは総合すると、全て「愛」でしかなくて。
体は辛かったり、しんどかったりしても、
心は、魂は、幸せでしかないのだ。
私にとって、
芸術や、ピアノを通して「表現すること」は、
上手い下手が問題なのではなく、
「自分にとっての、信念は何なのか。
自分がどう生きているか。」
の、証明でもあるのだ。