中山紫音は、東宗之の一軒家の玄関ドア前に立っている。家の周りは竹林におおわれている。ときおり強く吹くその風の音には、少し不気味な唸りが混じっている感じを抱いた。慣れてはいるものの、合鍵を持つ手は震えている。きょうは土曜日なので彼はいるはずと思いながら、ドアを閉める。その途端、なにやら得体のしれないどんよりとした空気を感じた。それにはおそらく恐怖心のようなものも入っている


日本的家屋の間取りとしては玄関正面に丸くて大きな木がでんとすわっていて、その両側から奥のほうへ廊下が走っていて、また左右にも同じようになっている。部屋はそれぞれの廊下沿いに何室かあるので、割合に単純な作りである


紫音はなんどか遊びに来ているので、丸太の奥のほうの宗之の仕事場へためらいもなく歩を進めようとすると玄関先で感じたような違和感がもわっと立ちはだかっている。音らしきものはしないが、風の音だけは微かに聞こえる。とにかくいままでには感じたことのないなにかが、歩くほどに重く遮っている。左右の部屋のなかからそれが発されているような気がするものの、この家は彼一人しか住んでいない。壁には彼の好きな赤っぽい絵が一枚飾ってあるだけで、無頓着にも傾いている。仕事場には行くなというようななにかが、彼女の視線をあえて押しすすめている。むかし見たヒッチコック映画のショットにも似ているなと思いながら、いつのまにか仕事場に着いた。ホッとしてドアをノックするやいなや、ゾゾっとするような澱んだ気持ちが彼女を支配した。彼とは長いつきあいなので、もう互いにあうんの呼吸の関係でしかない。なぜここに立っているのかさえ、一瞬わからなくなった


宗之の仕事はイラストレーターである。むかしからアンディ・ウォーホルが気に入っていて、彼のタッチに傾倒した。もちろん、ただの真似事の作品を描いているわけではない。食えないほどの仕事ぶりではないが、歳をとったせいかネタがなかなかでないことが多くなっている


紫音は仕事場のなかに入った。一望しても宗之の姿はない。小分けしてある作業コーナーにも彼の背中は見あたらない。彼女はいやな悪寒のような、鳥肌が立つような奇妙な感覚に支配された。それでもそれぞれの作業コーナーに近づいて彼を探す。すると「彩色コーナー」の椅子の下のほうにうつ伏せになっている彼を見つけて、すばやく耳を口のほうに寄せた。微かに呼吸を感じる。そしてゆっくりと仰向けにした。その途端、彼女は悲鳴を発した。彼の白いポロシャツの左胸が真っ赤になっているではないか。震える右手でケータイの救急アプリを押そうとした瞬間、彼がむっくと上半身を起こしたではないか。おまけに彼女の右手を握って、ケータイを遮った。彼女は腰を抜かして、顔面蒼白を呈した。彼は悪かったと言わんばかりに彼女を強く抱きしめた。お互いにそれから逃れると、彼女はまたもや驚愕した。お気に入りの白いブラウスの右胸のあたりが真っ赤になっている。彼の「血液」が付着していたのだ。恐る恐るそれに触ると、どうも感触が違うようだ。彼は絵の具の赤色だよ、すぐ消せるタイプだから心配ないよと言うと、彼女はどうしてくれるのよとふくれつらして飛びかかった。でも瞬時に、仕事場では前かけエプロンをいつもしているはずなのに、きょうに限ってポロシャツむきだしということが怪訝に思われたのだった


宗之は飛びかかってきた紫音を受けとめながら、互いに座りこんだ。彼は徐にポケットから小さな箱を出して、驚かせてごめん、このルビーの指輪で勘弁してくれと言った。彼女はあなたの茶目っ気大嫌い、これで別れられると思うと嬉しいわと皮肉を言いながらも、再び赤い者同士の抱擁を交わした


だが紫音がここまで来るときの、あの得体のしれない感じはなんだったのだろうかとも思った



◾️憩いの準動画


ドアの前




◾️出典:Yahoo画像




◾️お楽しみいただきまして、ありがとうございました。次回作は暇がかかるかもしれません