あの日を忘れない | 英国アンティークス・オフィシャルブログ

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英国の美しいもの、景色、すばらしい人々、そしてアンティークについて英国在住の鈴木ミアが、今の英国の楽しい情報をお伝えしております。


ずいぶん前にコッツウォルズのポピーの花畑のことを書きました。

英国の花の美しいのはガーデンばかりではないというお話でした。

お読みになったことのない方はコチラ からどうぞ、とてもきれいな花畑が見られます。


今日はそのポピーに関する話題ですが、少し切り口をかえてお話したいと思います。

英国の人にポピーの花のイメージを尋ねると、「戦争」のことを連想する人がほとんどだと思います。


戦争と言えば、私たち日本人にとりましては第二次世界大戦を思い出す人が

多いと思いますが、英国人のいうこの場合の戦争は「第一次世界大戦」なのです。



この第一次世界大戦は、英国も参戦し最終的には年端のいかない


13歳くらいの子供まで狩り出しての悲惨な戦争となりました。



私の息子が8歳くらいの時に読んでいた本で



「ウォー・ゲーム(War Game)」 by Michael Foreman



というお話があります。



これは短編ながらも感動のストーリーです。



戦地でクリスマスを迎えた英国軍とドイツ軍の兵士たちが、

(自分たちの意思で勝手に)休戦をしてサッカーのゲームを行います。



しかしクリスマスがあけるとまた戦わなくてはならない運命、または使命が

待っているという実話に基づいたストーリーです。そしてエンディングがまた‥‥



この先はどうぞご自身でお読みになってくださいませ。



サッカーを純粋に楽しむような年齢の兵士たち‥‥

読んでいてとてもやるせない気持ちになりました。



第一次世界大戦の悲惨さを経済学者の吉川洋先生も

本の中に書いていらっしゃいます。(以下「ケインズ」ちくま新書より抜粋)

オックスフォード最大のカレッジであるクライスト・チャーチには、

カレッジの卒業生で戦没者となった人達の名前を刻んだ壁がある。



(中略)

この壁をぼんやりと眺めていた私は、第一次世界大戦の戦没者リストを

見たとき、その長さに圧倒された。とりわけ日本人である私は、それが

第二次世界大戦の戦没者リストとは比較にならないほど長大であることに

驚きを感じたものである。英国の戦死者は、第一次世界大戦70万人、

第二次世界大戦26万人であること、とりわけ第一次世界大戦では

オックスフォード・ケンブリッジの卒業生が数多く前線で戦死したこと、

こうしたことを私は後になって知った。


それではなぜ、ポピーと戦争が関係あるのでしょうか。



第一次世界大戦の激戦地になったフランドル(フランダース)に

ジョン・マクレーというカナダ人医師が軍医として赴きました。



1915年、友人のヘルマー中尉が戦死したため、翌日マクレー医師は

ヘルマーを埋葬しました。そのときにそこに立ち並ぶ十字架と十字架の間に咲き乱れるポピーを見ました。



  英国・コッツウォルズより愛をこめて



         ジョン・マクレー医師(1872-1918)



戦場となったフランドルの野原は兵士たちによって踏み荒らされていたにも

関わらず、生命力の強いポピーは激戦地のの跡にいっせいに真っ赤な花を咲かせました。


その光景は兵士たちが戦場に流した血潮のようであったと言います。

マクレーはこみ上げる感情のままに、以下の詩をしたためました。


  In Flanders Fields



  In Flanders fields the poppies blow
  Between the crosses, row on row
  That mark our place; and in the sky
  The larks, still bravely singing, fly
  Scarce heard amid the guns below.



  We are the Dead. Short days ago
  We lived, felt dawn, saw sunset glow,
  Loved and were loved, and now we lie
  In Flanders fields.


  Take up our quarrel with the foe:
  To you from failing hands we throw
  The torch; be yours to hold it high.
  If ye break faith with us who die
  We shall not sleep, though poppies grow
  In Flanders fields.

  (フランダースの野にて)


  フランダースの野にケシの花が風にそよぐ 

  幾重にも並ぶ十字架の間を
  その十字架はこはわれわれの場所だ ―

  そして空には ヒバリが いまだ勇敢にも歌い飛ぶ

  地上の銃弾の音にかき消されようとも


  われわれは死者なのだ ほんの少し前まで
  我々は生きていた 夜明けを感じ 夕日が輝くのを見た
  愛し、そして愛された そして今は横たわる
  このフランダースの野に


  敵と戦い続けてくれ
  地に倒れる我々の手からたいまつを受け取って
  君たちの手でたいまつを高く掲げてくれ
  汝ら、我々死んだものの意志をを裏切るなら、 

  フランダースの野に  ケシの花が育とうとも
  我々は眠ることは出来ないだろう



そしてマクレー医師自身も終戦の10ヶ月ほど前の1918年1月

戦場で肺炎になり、命を落としてしまいます。


この詩は1915年、英国の雑誌に掲載され話題をよびます。そして、

この詩に共感を得た1人のアメリカ人女性が、マクレー医師の気持ちに

応えるためにポピーの花を買い、1つを自分の身につけてポピーの花を売り始めたそうです。


その活動が英国にも伝えられて、1921年からはロイヤル・ブリティッシュ・リジョンに

よって戦没者への募金を集めるために赤いポピーが売られ始められることになります。




19181111日午前11時に第一次世界大戦の

休戦協定が発効され、その日が終戦記念日となりました。



そしてこの日はリメンバランス・デーまたは、ポピーデイとよばれるようになり、

戦没者のことを忘れないようにしようという記念日になっています。


この時期が近づくと、街を歩く人、テレビに出ている人たちは

ほぼ100%胸にポピーをつけて出演しています。


ロンドンのウェストミンスター大聖堂では、女王陛下も参列される

大規模な式典が行われるのですが、今回私はコッツウォルズの

ある街で行われました式典に参加してまいりました。



英国・コッツウォルズより愛をこめて



この日の為に観光バスで各地から人々が集まりました。



英国・コッツウォルズより愛をこめて



式典は午前11時から始まります。




英国・コッツウォルズより愛をこめて



地元の小学校の子供たちもコーラスで



「あなた方を忘れない」



という旨の歌詞の歌を歌いました。



英国・コッツウォルズより愛をこめて


11時11分になると街の教会の鐘が11回鳴り響き2分間戦没者のために

黙祷をささげます。これは第一次世界大戦のためだけではなく、第二次、

そして最近のアフガニスタンでも命を落とした人々のためでもあります。



これは式典会場だけではなく、スーパーマーケットや商店のなかでも

この時間になりますとお知らせがあり皆が黙祷をささげるのです。



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