正観さん、ありがとうございました(弔辞)
正観さんと長年ご一緒させていただいた人間の一人として、
正観さんにたくさんのことを教えていただいた者の一人として、
ごあいさつ申し上げます。
本日は、ご多用の中、またご遠方からも、
こんなにも大勢の皆様にご会葬、ご参列いただきありがとうございます。
みなさんがこうしてお見送りに来てくださったことを、
正観さんもきっと喜ん でいると思います。
小林正観さんは、稀有な方でした。
学生時代から旅行関係の記事を書き、
それが認められ旅行作家として活躍するようになります。
それと並行して、学生時代には「精神科学研究会」に属するなど、
超常現象、人間の潜在能力、心の世界を探求、研究されました。
旅行関係の取材で訪れる宿では、いつしか、泊まり合わせた人たちから
人相・手相見を頼まれ、人生相談が持ち込まれるようになり、
正観さんは夜を徹して依頼に応え、相談に乗り続けました。
その数は、約 20 年で 10 万人以上にもなったそうです。
やがて、噂が噂を呼んで正観さんの話を聞きたいという人たちが
宿で待っているようになり、講演会で話してほしいという依頼も増えていきました。
また、それまでの研究や知見をまとめたワープロ打ちの文章を配ったところ、
コピーがコピーを呼んで大勢の人の間に広がり、
ある会社の社長さんの手に渡ります。
ついには、その原稿に感銘を受けたその社長さんの手により、
正観さんの本を出すために出版社までつくられました。
『22 世紀への伝言』 を皮切りに次々と正観さんの本は出版され、
来月 11 月 9 日、正観さんが 63 歳になるはずだったお誕生日に
出版される予定の『豊かな心で豊かなくらし』まで計 55 冊、
それに旅行関係の本 5 冊を合わせ、
全部で 60 冊の著書を遺されました。
講演会も年を追うごとに増えていき、
多いときには年間 300 回以上にも及ぶという年が何年も続きました。
いつも笑いと学びと気づきがいっぱいの正観さんの講演はどこでも大人気で、
繰り返し聴きに行く人の数も、講演を聴いて人生が変わったという人の数も、
数え切れません。
こんなにも人が集い、求められるままに活動がどんどん広がり、
多くの人々に影響を与え人生を変えたというのは、本当に稀有なことです。
正観さんはまさに、滅多にいない、有り難い存在でした。
長年の過労も一因になったのでしょう、2 年半ほど前から体調を崩され、
糖尿病からくる腎不全で体に水がたまり、2 年前の 10 月末に緊急入院、
「奇跡のセイカン」を果たされましたが、
その後も入退院を何度か繰り返し療養しながら、
執筆活動と講演活動を続けてきました。
昨年 11 月に人工透析をはじめてからは、体調も良くなっていき、
講演数もまた徐々に増えてきて、
特にこの夏以降はどんどんお元気になっていらっしゃいました。
そんな中、去る 10 月 10 日、11 日の 1 泊 2 日で、
私が代表をつとめる株式会社ぷれし~どの主催で、
『正観さんとの上高地・帝国ホテルツアー』に行ってまいりました。
「紅葉を見に行きましょうか。上高地の帝国ホテルに泊まれたら、
さらに楽しいですね」
という正観さんのひと言から企画したこのツアーは、
好天に恵まれ、正観さんもとてもお元気ににこやかにみなさんとご一緒くださいました。
そして、 とても楽しい 2 日間を過ごしたのち、 上高地をあとにされたのでした。
ところが、山中湖にお持ちのご自身のマンションに戻られたその日の夜、
就寝中に体調が急変したものと思われます。
未明に病院へと運ばれましたが、
平成23 年 10 月 12 日午前 5 時 41 分、ご逝去が確認されました。
山中湖のマンションでは夕食のときに、「上高地のツアーはとても楽しかった」
と話されていたそうで、正観さんはきっとその楽しさを胸に抱きながら、
お休みの最中に、まさに眠るようにサッと旅立たれたのではないかと思います。
正観さん、驚いています。
正直言って、まだ実感がありません。
前の日まで、上高地での楽しいツアーをご一緒したのに・・・
あんなにお元気だったのに・・・
散策でもホテルから往復 2.2km をしっかりとご自身で歩かれ、
「この 2 年間で一番長い距離を歩きました」とおっしゃっていたのに・・・
夜の茶話会でも、
「体調がよくなってきたので、やる気がでてきました。
講演や新商品の企画もやろうという意欲が湧いてきました」
と話していらっしゃったのに・・・
まさかと言う以外、言葉が見つかりません。
本当は、今日は五反田での 3 時間講座でお話いただいているはずでした。
なのに、こんな形で今日を迎えることになるとは・・・
こんな日は迎えたくなかった。
お釈迦さまが死の床に伏せたとき、涙を流して嘆き悲しんだという
弟子のアーナンダの気持ちが、痛いほどわかります。
受け入れることの大切さを、正観さんはいつも説いてくださいましたが、
正観さんにもうお会いできないという現実は、
まだ受け入れることができません。
すみません。
正観さんには、本当にたくさんのことを教えていただきました。
正観さんは、本を通じて、講演を通じて、
そして、何よりもその生き方と姿を通じて、
ものの見方・考え方・生き方を、教え、示し続けてくださいました。
「うれしい・たのしい・しあわせ」というコンセプトを教えてくださったのは、
正観さんでした。
正観さんの本を読み、お話を聴いて、いつも「う・た・し」と思えるようにと、
どれだけの人が生き方を変えたことでしょう。
「幸も不幸も存在しない、そう思う心があるだけだ」
「投げかけたものが返ってくる」
「人は“喜ばれる存在”になるために生まれてくる」
という宇宙法則を教えてくださったのも、正観さんでした。
すべてはものの見方次第ということに気づき、
笑顔を投げかけ、喜ばれる存在をめざして人生を歩む人が
どれだけ増えたことでしょう。
「そ・わ・か」の法則と実践についても説いてくださいましたね。
「掃除」。
正観さんのお話を聴いて、本当にたくさんの人が楽しい損得勘定も持ちながら
トイレ掃除を実践するようになりました。
「笑い」。
正観さんは、力を抜くことと明るさが大切ですよといつもおしゃっていました。
そして、いつも笑いと笑顔を私たちに投げかけてくださいました。
先月の 3 時間講座のときも、最後に私がご参加のみなさんに、
「今日は 7 階の会場でしたが、 次回は 6 階の会場になります」
とご案内すると、
すかさず正観さんは「誤解(5 階)のないように」とおっしゃり、
それに対して私が「司会(4 階)は私です」と合いの手を入れると、
即座に「では、これにて散会(3 階)」と正観さんがしめてくださいましたね。
でも、あんな楽しいかけ合いも、もうできないんですね。
「感謝」。
正観さんは、日本でこんなにたくさんの「ありがとう」が言われた時代は
かつてなかったのではないかとおっしゃっていましたが、
きっとその通りだと思います。
そして、もしそうだとしたらそれは、他ならぬ正観さんのおかげです。
心から、ありがとうございます。
「五戒を言わない」という指針を示してくださったのも、正観さんでした。
どんなときも「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言わない、
実践はそこからはじまると教えてくださいました。
正観さんご自身、
年間 300 回以上の講演で地球 1 周分もの距離を移動するスケジュールのときも、
病を得てからも、 そして、 週 3 回の人工透析を続けながら各地を回られる間も、
決して五戒を言うことなく、
“淡々と・おだやかに・誠実に”日々を重ねていらっしゃいましたね。
計り知れないものを、その背中で私たちに見せてくださいました。
「今、目の前の人や物事を大切にする」生き方も、教えていただきました。
正観さんはまさに、「今の心」で生きることを実践され続けましたね。
どんなときも、どこでも、誰に対しても、“淡々と・おだやかに・誠実に”
接するその姿は、まさに「念をこめて生きる」姿そのものでした。
病を得てから、正観さんのお話が聴ける機会は以前よりも減りましたが、
それでも、「また正観さんにお会いして、お話が聴ける」ということを
どこかで当たり前と感じている自分がいました。
でも、その当たり前が、突然、消えてしまいました。
もうお目にかかることも、お話を直接聴ける機会もありません。
さびしいです。
こんな日を迎えてようやく、当たり前が当たり前ではなかったことに、
当たり前と思っていたことが実は有り難い機会だったのだということに、
気づきました。
ただ普通に正観さんにお会いすること、それすらできなくなった今、
「何事も起こらない普通の日常が幸せの本質」
という正観さんの言葉が身に染みます。
“普通の今”という瞬間がどれだけ有り難いかを、痛感しています。
本当にたくさんのことを教え、示してくださいましたが、
私たちは正観さんからもう 1 つ、とても素晴らしいものをいただきました。
それは、「良き仲間」です。
正観さんはよく、この話をしてくださいましね。
あるとき、お釈迦さまに弟子のアーナンダがたずねた。
「お師匠さま、良き友を得ることは聖なる道の半ばだと思えるのですが、
どうなのでしょうか?」
すると、お釈迦さまが答えて言った。
「アーナンダよ、良き友を得ることは、聖なる道の半ばではない。
良き友を得ることは、聖なる道のすべてである」
正観さんご自身、いつもたくさんの良き友に囲まれ、
友人や仲間を何よりも大切にされました。
講演も本の執筆も、友人からの頼まれ事に応え続ける形でなされたものですし、
当初は拒んでいらっしゃった人工透析をついに受け入れたのも、
友人が主催し多くの人が待っている講演会に約束通り行くためでしたね。
正観さんは最後まで、
身をもって「聖なる道のすべて」を行く生き方を示してくださいました。
そして、正観さんのおかげで、私たちにも良き友ができました。
正観さんのもとに集い、「うれしい・たのしい・しあわせ」なときを過ごせる
「う・た・し」仲間とのご縁をたくさんいただくことができました。
この良き友、素晴らしい仲間たちは、
正観さんが私たちに遺してくださったかけがえのない宝物です。
以前、講演会で良寛さんの辞世を紹介されたことがありましたね。
形見とて
何か残さん
春は花
夏ほととぎす
秋はもみぢ葉
それになぞらえて、正観さんもご自身の辞世の句を詠まれました。
我が形見
高き青空
掃いた雲
星の夜空に
日に月に
高く澄み渡った青空を見たら
掃いたような白い雲を見たら
それが私の形見だと思ってください
きれいな星の夜空や
太陽や月を見たら
それが私の贈りものだと思ってください
思えば、ツアーのときの上高地は、まさに「高き青空 掃いた雲」でしたね。
昼にはあたたかな「太陽」、
夜にはきれいな「星空」と満月を迎えようとする明るい「月」。
そして、にこやかな笑顔の良き仲間たち。
正観さんはこの句のとおりに今生の最後を飾り、旅立って行かれました。
正観さんにお目にかかることはもうできませんが、
高い青空や掃いた雲、星空や太陽や月を見ることはできます。
そのときには、ああそうだ、正観さんが私たちを見ていてくださっているんだ
と思い出すようにしますね。
正観さんの肉体は死を迎えてしまいましたが、
こうして私たちが思い出す限り、そして正観さんのことを語り継ぐ限り、
正観さんの存在はずっと生き続けます。
お釈迦さまも亡くなるとき、嘆き悲しむアーナンダにこう言ったのでしたね。
「アーナンダよ、私の肉体が存在するということに依存してはならない。
私が生きているということに依存してはならない。
自らをよりどころとして、生きていきなさい。
私があなた方に説いた法(教え)を闇の中の光として、生きていきなさい。」
私たちも、この「自灯明、法灯明」の言葉を胸に、
正観さんから教えていただいたことをともしびとして、
自らをともしびとして、そして自らがともしびとなるよう、生きていきます。
「まだまだですね」と正観さんに言われるようなこともあると思いますが、
行きつ戻りつしながら実践を重ねていきたいと思います。
上高地帝国ホテルでの最後の茶話会で、
正観さんは「親孝行」の話をしてくださいました。
「親孝行というのは、親が生きている間にしてあげるものではありません。
本当の親孝行は、親が亡くなったときからはじまります。
親が亡くなりあちらの世界に行って、こちらの世界を見ているときに、
『ほら見てください。あれが私の子どもです。あんなに人に喜ばれながら
楽しそうに生きているのが、私の子どもです』
と親が自慢できるような生き方をすることが、最大の親孝行なんですよ」
わかりました。正観さんへの恩返しは、これからはじまるんですね。
正観さんがあちらの世界で、
「ほら、あの人たちが、私の話を聴いたり読んだりしてくれた人たちですよ。
いつも笑顔と感謝の心を忘れず、喜ばれる生き方を実践している、
私の良き仲間たちです」
と自慢できるように生きていくことが、
私たちができる正観さんへの最大の恩返しですね。
肝心なのは、これからです。
いつも“淡々と・おだやかに・誠実に”生き切った正観さんをお手本として、
これからは私たち一人一人が、
良き仲間たちとともに、
「う・た・し」な心で、
喜ばれる存在を目ざして、
実践を重ね、語り継いでいきます。
正観さん、本当にありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いします。
平成 23 年 10 月 15 日
小林正観さんのお通夜にて
正観塾 師範代 高島 亮