
今から数年前にある認知症の方の家族に涙ながら言われたのが、
そもそもの始まりでした。
この方は、1年前から認知症と診断されて、今は薬とデイケアを
週一回という日々を
過ごしていました。
認知症で深夜の徘徊は毎日。
トイレの場所も忘れてしまい、ところ構わずトイレをしてしまって
いるような状態でした。
そんな毎日が続くので家族は相当疲れきっている状態でした。
Aさんは、自分の体よりも家族の事を心配して、
なんとか少しでも認知症とうまく付き合って、問題行動や徘徊癖を少しでも
改善することができたらと思って、私の元に訪れてくれたのでした。
「ちょっとでもこの問題行動がなくなったら・・・」
認知症であるAさんのお母さん洋服を何度も広げては畳んでの繰り返しをしたりと、
言っても治らないどころか時には注意すると奇声を上げたり、どう対処したらいいのか
わからない状態でした。
食事を食べたことすら忘れて1日6食も食べている状態で、
「さっき食べ終わったばかりでしょ」と言うと、
「私を餓死させるの!」と急に怒りだしてしまうような状態でした。
毎日、生活するのにやっとの状態…。
いっその事どこかに消えてくれたらどんなに楽なんだろう・・・
相談者のAさんはそう思うようにさえなっていました。
「毎日数種類の薬を何年間も飲んできました。
でも良くなるどころか逆に悪くなる一方です。」
「母には泥棒扱いされる始末・・・
先生、私は一体どうすればいいのでしょう・・・」
Aさんと家族は、必死に涙ながらに訴えてきました。
そんなAさんを見てほっとくわけには行きません。
私はそれからというもの
「認知症を克服する方法は無いだろうか?克服まで行かないまでも、
進行をストップさせて症状を緩和する事はできないのだろうか?」
と考えるようになりました。
この日から、毎日研究の日々が始まりました。
狂った科学者のように引きこもり、
“どうすれば問題行動は無くなるのか?
認知症の人は何を思っていて、一体何を考えているのか?”
などを必死に考えてきました。
認知症を和らげることは不可能と言われていましたが、
それでもあきらめずに研究を続けてきました。
その研究も1年が過ぎようとした日の事です。
私は、
“ある事”に気づいたのです。
その瞬間子供のように飛び上がって喜んだのを今でも覚えています。
そしてドキドキしながらもそのケア方法を今まで相談にきた
認知症の家族の人達に実際に家庭で試してもらう事にしたのです。
すると、あれほど夜中の徘徊や問題行動で悩まされて
いたのが、徐々に和らいでいったのです。
もちろん、1年間悩み続けたAさんも問題行動がめっきり減って、
物忘れや泥棒扱いされることがなくなっていったのです。
これは何か特別な事をしたり薬を使ったわけではありません。
ちょっとしたケアをプラスアルファで生活に取り入れるだけで
ガラッと症状は変わっていったのです。
事実、今までの常識では不可能とされてきた体に負担をかけずに、
進行を出来る限り食い止めて、自宅でケアする事ができるようになったのです。
あなたは以下の様な“間違った思い込み”をしていませんか?
 | 主に家族が身のお世話を全部やってあげている |
 | 看護する側にできる事は限られている、と思っている |
 | この病気には進行を食い止める方法などはない、と思っている |
これらに当てはまると、認知症ケアにブレーキをかけてしまっている事になります。
認知症を発症した初期の頃にはできていたことが、認知症が進行するに連れて、
今まで出来ていたことがどんどんできなくなっていくのは確かです。
しかし、動作が遅くなっても全然出来ないわけではありません。
症状の進行を抑えるためにも、自分でできることはできるだけ自分でしてもらう
ことも大切です。
それを介護者が「どうせできないでしょ」となんでも手をかけてしまうと、
本人の自尊心を傷つけ、怒らせてしまう場合もあります。
結果的に「何も出来ない」「させて貰えない」ということが本人の生きがいを
奪ってしまい、結果的に認知症を進行させてしまうことにもなりかねません。
認知症になると確かにできないことが増え、周囲にも迷惑をかけることが多くなります。
しかし、症状は悪くなる一方というわけではありません。
調子のいい日はできるだけ、本人に任せてあげて責任を持たせてあげることが重要です。
頼りにされて、役割を与えられることは、
「自分にもできることがある」「人の役に立てる」という、自信と生きがいにも
つながります。