少し、筆者の自己紹介をさせていただきます。
僕はアメリカ人の親を持つわけでもなく、普通の日本人であり、英語に苦労してきました。
留学の経験も大学生時代に3ヶ月、25歳のときに1ヶ月半の、合計4ヶ月半です。
そんな筆者の英語にまつわる26年間をご紹介させていただき、少しでも『自分も頑張ってみよう!』と思ってもらえればと思います。
出身は大阪。
現在26歳、海外の企業で働いています。
英語に目覚めだしたのは高校3年生のころだったと思います。
小学校から高校まではあほみたいにサッカーに没頭しており、成績ももちろんずいぶんと下のほうでした。
リスニングは得意な方でしたが、文法などはまったくわからず、長文もなんとな〜くで解く、というような感じでした。
そんな僕は、20歳の頃ぐらいまでは結構な人見知りでした。
そしてずっと、もっとフレンドリーになりたいと思っていました。
高校生活も終わりに近づいた頃、海外の映画を見ていてふと気付いたのです。
『外人ってめっちゃフレンドリーやん敬語とかもないし。』そう思い、
英語がしゃべれたら違う自分になれるんじゃないか?
そんなことを考え始めました。(本心は英語がしゃべれたらかっこいい=モテると思ったからです。)
これが一つ目のきっかけだったのかもしれません。
(大学に入ってから人見知りを克服するべく、バイト先のセブンイレブンでお客さんに話しかけるというトレーニングや、新しく出会った友達には握手をするなど、ルールを作って徐々に克服していきましたが、今でもたまに人見知り発揮します)
サッカー部を引退したらすぐに中型バイクの免許を取って四国を一周すると決めていた僕は、公募推薦で外大1つのみを受験し、合格発表も待たずに教習所に通っていました。
根拠のない自信が身を結んだのか、なんとか受かりました。
大学生活が始まって気付いたことは、
自分の英語レベルの低さ。。。
3単元のsだとかそんなんはまったくわかりませんでした。
講師に当てられて答えられないことを恐れてわき汗垂らしながら目をそらす、そんな日々が続いていました。
そしてこれはやばいと、中学の教科書を引っ張りだして一通り勉強し直したり。
そんなとき、大学外では高校のサッカー部時代の親友、N君とあっちこっち野宿しながらバイクで旅をしたり、刺激を求めていました。
どっちがみんなから『すげぇ!』って言われることをするか、そんなことばっかり考えてた2人でした。男ってそんなもんですよね若いときは。
そして日本での旅の刺激に満足できなくなり、N君がアメリカ一人旅に。
負けてられん!と思った僕はタイとカンボジアに一人旅に行くことに。
あれは確か大学1回生が終わった春休みのことでした。
そこで僕は、今まで勉強してきた英語を初めて使うことに。
たどたどしい英語でしたが、
外国人と意思疎通ができることが楽しく、自分の力で異国の地を動き回っていることが最高に気持ちよかったのです。
この出来事がきっかけで、英語に対するモチベーションが上がったのだと思います。
大学に2回生になり、名前は忘れてしまったのですが(ごめんなさい。)、イケメンマッチョでTOEIC920点を持っているという友達ができました。
そのころ550点ほどだった僕は彼の指導の下、高得点を目指して半年間勉強しまくりました。
3か月後の試験で700点台を取り、その3ヵ月後には860点を取ることができました。
大学生の平均がだいたい550点ぐらいと言われているので、
860点となるともはやペラペラやん!と思っていたのですが、
実際に話すとなるとペラペラからは程遠いレベルでした。。
実際、TOEIC800点台はコツさえ知れば取れてしまいます。
(コツについてはまた書きたいと思います。)
しかし、そんなことは気にせず有頂天になっていた僕は、オーストラリアに3ヶ月間留学をすることに。
クラスメートにはフランス人、インド人、ドイツ人など、様々な人種がおり、授業中の彼らの発言力には頭が下がる思いでした。
文法の間違い、発音なんて気にせず、しゃべるしゃべる、、、
理解できないところは授業を止めてでも先生に質問しまくる。
発言や挙手をまったくしない日本人と比べ、彼らの学ぶ意欲はすさまじいものでした。
英語の勉強法の本などを見ていると必ずと言っていいほど出てくる、
メンタルバリアという言葉。
これは、日本人が特に持っている英語に対する精神的な壁のことです。
文法の間違いや発音を気にして発言することができず、英語の成長を妨げている精神的な壁です。
これを取ることが最初のステップだとも思います。
僕の場合、英語をしゃべっているときは違う自分、いつもよりもオープンな自分を作ってこの壁を乗り越えました。
そこで気付いたのは、
TOEICで860点取ったとしても、しゃべることとはまったく違うということ。
ホストファミリーにもうまく伝えることができず、ストレスが溜まる悔しい3ヶ月間でした。
この留学後、しゃべることの重要性に気付いた僕は、
英語で話すトレーニングに集中することに。
(トレーニング方法はまた別の記事でお教えします。)
そして最後の学期。
残り4単位を取れば卒業できるという状況で4単位の授業しか取らず、
落とせば留年というわけのわからない状況に自分を追い込んで最後の学期を終えました。
結果はなんとか卒業確定。
就職活動はというと、受けたのは2社のみで、英語を選考しておきながら英語力に自信もなかった為、コーヒー通だった僕はコーヒー会社での就職を決めました。。
そして大学生活の終わり、みんなが卒業式で涙を流しているその頃、僕はインドにいました。大学にたいして友達も多くなかった僕は、式よりも1ヶ月間のインド旅を選びました。
そこで、
自分の英語力が確実に上がっている
と実感できたのです。
インドはど田舎の人以外は英語をしゃべれる人が多く、前回のタイ、カンボジアの旅よりも言葉の面では苦労せず旅できました。(もちろんインドのおもてなしである下痢になり、脱水症状になったりと苦労はありました。)
モンク(僧侶)になると言って離婚し、欲をすべて捨てて生きているオランダ人と討論したりと、
外国の人と意見の交換をできる楽しさをひしひしと感じました。
旅から帰ってきた後、3年で会社を辞めてまた海外に行くと心に決めながら社会人としての生活をスタートさせました。
バリスタとしてコーヒーの勉強に没頭しながらも、
通勤の電車では英語の勉強をしたり、オンライン英会話で話す機会を作ったり、英語から距離を置かないようコツコツと勉強しました。
会社の経営が傾き、貯金も思うようにできていなかったため、2年で会社をやめ、1年間に日本各地で住み込みバイトをしながら貯金をしました。
もちろんその間も英語は少しづつ勉強しました。
そして大学卒業から3年目、フィリピンのセブ島へ1ヶ月半留学をすることに。
そして縁が重なりフィリピンの大都市で働く機会を得て今に至ります。
長々と綴ってしまいましたが、
僕のことを少しはわかっていただけたかと思います。
こんな純日本人の僕だからこそ、
みなさんの苦労がわかるからこそできるアドバイスがあると思うのです。
英語を勉強する際に一番大事なことは
コツコツ続けることです。
それしかないんです。
では、そのために何が大事かというと、
モチベーションの維持です。
毎日コツコツやれば確実に知識はついてきます。
成果が目に見えないのでなかなか苦しい時期もありますが、
知識は確実についていきます。
英語がしゃべれると、
今まで小さな島国である日本の人としかコミュニケーションを取れなかったあなたが世界中の人とおしゃべりをしたり、
冗談を言い合ったりできるようになるんです。
想像してください、どれだけあなたのセカイが広がるかを。
一緒に頑張りましょう!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。