突然可愛い服が着たいなと思いました。
下妻物語を観て、メイちゃんの執事読んで、ロリィタとかお姫様っていいなぁ
もっと若い時にもっと楽しめばよかったと思って後悔してます。

でもまだ22歳。諦めるのは早い。
幸い働き始めてお金もまだ余裕があるし、
ロリィタしても全然いいと思う。
とかツイートしてたら同年代フォロワーさんに「30なる前にそういうスタジオ行きたいから誘って」と言われて。
なるほど、そうか、いまはロリィタもレンタルできるんだ。と思った。

それで納得したような気がしたけど、私はやっぱり可愛い服が着たくて、今度はリーズナブルな着物屋さんに目をつけた。
着物、着れない。トイレ、どうすんの。いつ着るの。と思って諦めた。

要するに、私の可愛い服が着たいは、もっと可愛く生まれたかったに直結する。
もっと可愛かったなら。美しかったなら。私はもう少しちがう恵まれた生活をしていた。
22にもなって彼氏の1人もできないような虚無を味わうこともなかった。
高校の時にクラス中の女子とライン交換していた男子にラインIDを聞かれなかったことがずっと引っかかるようなこともなかった。

でも22にもなると、諦めてくる。可愛くなるより。自分に似合う服を着たい。もちろん可愛いと感じる服がいい。25歳になっても着れるような大人な、自分に似合う自分の服を探したい。

とても難しいけど、私は人間として私をもっと飾りたい。
4月から!!!!


なりたくねーーーー!!!!超なりたくないけど不安だけど生きるーーーー!!!!

このブログを始めたのは中学2年でしたか。10年近く続けているんですねぇ。
いろんなことがあったもんです。

出会いもありました。別れもありました。
昔のあなたの方が好きだった、と言われたのがひどくつっかえて何にも変わってねーよ!お前が私の内側に踏み込んだことで別の面が見えただけだろ!!!という主観的意見を述べておきます。
実際には少し変わったのかもしれませんが。

昔からずっと、もしも、私の記事を読んでくれている方。本当にありがとうございます。ご縁に感謝します。


遡られると恥ずかしいものの方が多いですが、社会人になる前に、誰かのためになるならと打ち明けたいことがあります。

打ち明ける行為に対して、あるいは打ち明けたことに関して、私自身に対して、批判的な考えを持たれる方も少なからずいると思います。
偽善とか、あまちゃんだとか、親しい(親しかった)友人にも散々言われました。
それでも私はインターネットという不特定多数の人間に対して発信します。

私は今心療内科に通っています。
高校2年、3年の途中からでしょうか。
学校に行く前なのか朝なのか、ほぼ毎日お腹が痛くなり、吐き気のようななんとも言えない胃の不快感に襲われるようになりました。
ただ、昔から腹痛持ちだったことと睡眠時間をゲームやらで削っていたのでそれかな?と軽い考えでした。

大学1年。
ほぼ毎朝6時起き電車通学です。
最初のうちは順調でした。
でも夏になると、高校の時と同様腹痛、吐き気、食欲減退によりゼリー1個のみの朝ごはんという生活でした。
(余談ですがバイト中におそらく低血糖で倒れました。ゼリー1個は少なかった。)
お昼ご飯も自分で買うようになってどんどん量が減りました。プリン1個とか。それでも私はまぁ夏だしな、朝早いのに夜寝てないからな、とほっておりました。

大学2年。
ゼリー1個朝ごはんで倒れてから菓子パン1つは食べるようにしていたのですが、授業中に猛烈な吐き気に襲われ戻してしまいました。

その頃には自分の身体の不調が単なる寝不足や、元々の腹痛ではないことにはうっすら気づいていました。
それでも私は病院に行けず、家族にも言えませんでした。

なぜなら姉がとても精神的に弱い人間だったからです。
ブログ記事を遡れば私の姉や母に対する気持ちはある程度見てとれると思います。
私は母にこれ以上の心配をかけたくなかった。姉に対しても、好きだと言い聞かせ、憎さを抑えていました。(当時は純粋に好きだと思っていましたが)

しかし大学3年。
姉が就職した企業に僅か3日ばかりで行かなくなり、1週間で辞めた時に私はもう、私の全てが無駄だったと思ったのです。
私が生まれた時から、姉は姉なんだからと甘えさせてもらえなかった分、姉の弱い部分を両親が甘やかすことをずっと見てきた。
小学生の時からずっと、両親も姉も気づいていないとしてもいろいろ我慢し、耐えていたのです。勝手な行いだったかもしれません。全く必要のない、無意味な行いだったかもしれません。それでも私は、吐くほどに何かを溜めていたのは本当です。

それなのに姉は「辞めたい」の一言で苦痛を終わらせたのです。
姉の本心はわかりません。就活中も辛くてたまらなかったのかもしれないし、入社して3日でたまらなく嫌なことがあったのかもしれません。私はそれを聞くことができていません。
ただ当時の私は「裏切られた」「憎い」という気持ちが溢れてしまいました。

私は姉の秘密をずっと守ってきたのに、1人で耐えてきたのにあんなにもあっさりと自分の苦痛を口にする姉を見て私も耐えてきたものを吐き出さないと死んでしまう、と思ったので大学の親しい、非常に冷静な友達に全てを打ち明けました。その頃にはもう大学4年の夏を迎えていました。

その友人に大学内の無料の相談室に行くように勧められました。
その子に相談していなければ私はそこに行く判断はつきませんでした。とても感謝しています。

相談室の臨床心理士の方にアドバイスをもらいながら何とか過ごしていたのですが、毎日の胃の不快感に加えて動悸、手足の内側がざわざわするなど、日常生活に支障をきたすほどの症状が出てくるようになりました。
そこまできて、私はようやく心療内科を受診する決心がついたのです。

今は一般的には抗不安剤と呼ばれるものを服用し、落ち着いた毎日を送っています。
抗不安剤の依存性や、診療費を考えるともちろん憂鬱になることもあります。

この記事を見ている方は何かのキーワード検索で見ているのでしょうか。
ご自身に思い当たる症状がある方、特にまだ病院などにかかっていない方に向けてこの記事を書いています。

症状が重くなる前に、日常生活が送れなくなる前に病院に行った方がいいです。
あくまで私個人の経験に基づく意見です。
まだ20年ちょっとしか生きていない社会経験もほとんどない人間の意見です。
それでも、毎日吐き気に耐えて電車に乗ったり、心臓がドキドキして息が出来なくて死ぬと思いながらどうしても死ねない日々を生きた人間です。

誰にも言えない悩みや秘密がない人間の方がこの世界には多いかとおもいます。
だけどどうか、それが重荷になっているなら、誰かに話す勇気を持ってください。
もちろん話す人間を選ぶことも大切かもしれません。私は偶然、とても冷静で偏見もない人に最初に話すことができました。

私はこれから社会人になり、10年経ち、20年経ち、いつか結婚し、子供ができるかもしれません。
親も姉もいつか死にます。
それでもこの、価値観や育ってきた環境や経験はなくなることはないのです。
就活の最中に姉のことを思い出して息が苦しくなりました。
何かあるたびにこんなに私を苦しめたくせに、と姉に対して思います。

一瞬でも姉も母も父も憎んだこと。そんな風に考える自分が嫌になり消えたいと思ったこと。
全てが私の未来に影響します。
この出来事から、前向きに頑張れる人もきっと世の中にはいます。
家族のことを気にせず生きていく人もいます。
私は今はまだ、まったく、家族から考えも距離も離れられずにいます。

いつかこの出来事が過去にあったことになるように。
姉のことを憎まず生きていけるように。
その時まで私はそっと待ちます。


追伸(2017.7.9)
公開するか悩んでいましたが思い切って公開します。誰かに辛さを知ってもらうことが大切だと思うからです。

とても、とても久しぶりです。

昔の記事にさかのぼると大学生になってから5回くらいしか更新してなくて笑います。

あ、まだ生きてたんだこいつ。と思ってくださる方がいるといいなぁ。

そんな私は今卒論と戦っています。時が経つの早い、と言いたいところですが、

いやもう苦しい時間は長く感じるものです。

 

この記事を、最初書こうと思ったとき、もうブログ消そうと思っていました。

そうしなければ忘れられないような出来事があったからです。

でも読み返して、昔の私も今と同じようにこのブログを見返して、

若かったなぁ、でもやってきたんだなぁと思ってることに気付きました。

だからこのブログは消しません。

何度も読み返して、人生の歩みを振り返るのは大事なことです。

 

もう、何人の人が私のブログを見てくれているかわからないけれど。

ふと検索に引っかかっただけかもしれないけど。

ありがとうございます。見てくれて。

 

私は昨日、ずっと友達だった子と縁が切れてしまったようです。

と言っても、気付いたのが昨日なだけでその子にとってはもうずいぶん前から

私は友達ではなかったのかもしれません。

 

ずっと仲が良かったはずでした。

頻繁に会ったりはしないけれど、一番親しいと思っていたんです。

でも、どうやらその子の気に障ることを私はずっとしていて、

気付かず、積み重なって、とうとう、「嫌い」と他人を通して言われました。

 

ずっと思っていたならどうして私と10年近く友達をしてくれていたのか、とか。

仲直りしたい。とか。

いろいろ考えることはあります。

本当に好きで、謝って許されるのなら、とも思いました。

でも私は謝って、それで関係がなおるほど単純ではないことをやってきたようです。

もし、謝っても私、あの子に嫌われたことを一生忘れない。

ずっと気にして生きていくんだ、と思ったら私は、その子のことを忘れよう。

と思うことにしました。

 

どっちが悪いとか、そういうことでもなくて。

でも面と向かって嫌いと言われずに連絡手段を絶たれて、

それでも、共通の知り合いを通して嫌いと伝えてくるほどなのであれば、

もう無理だと今の私は思います。

 

忘れようというのはつまり、あなたと絶交したいわけではないのです。

私は今でも好きだし、信頼しているし、友達でいたい。

でももう無理なのだと思って、連絡を取ろうとせず、

全部しまって、忘れるのを待つことにしました。

飲み込むのとは違います。

私は今でも悩んでいるし、悩んでいるから何も行動できなくて、

気付けなかった自分が悔しく、情けなく、

何も言ってくれなかったあなたが憎らしくもあり、

でも嫌いではなく、友達でいたい。

うまく咀嚼できないものをどうして飲み込めるのでしょう。だから。

忘れます。

 

小学生のころ突然お別れしたあの大好きだった先生のことのように、

そのことを十数年経った今では、そんなこともあったね、と言えるくらいになったように、

忘れるのを待ちます。

あなたを嫌いになることも、仲直りしようと動くこともできない私は卑怯で、

やっぱりブログにこんなことを書いてしまうほど自己中心的です。

うまく言えないけれど、面と向かって嫌いと言われるのが怖いだけかも。

まだ、何も忘れられていない。いつになるかわからない。

 

昔のアルバムを出して、見たら、私あなたとしか写ってない。

3年間ずっと同じクラスで、あなたのことを忘れたらきっと、

3年間のこと全部すっぽり抜けてしまう。

昔のブログ見てもあなたのことをたくさん書いている。

 

だから全部捨てたかったけれど、なくならないのだから、

忘れましょう。

良かったことも悪かったことも思い出にします。

 

いつかこの記事を読んだとき、傷つかないくらいあなたを忘れられることを願っています。

もしも、忘れたころひょっこり出くわして、久しぶり、なんて普通に挨拶してみたいです。

目が合っても気付かないふりをするようになりたくない。

だから忘れようというのは今更ながら正しいのかわかりませんが、

今はただ一生懸命別のことをして、おいておきます。

 

ごめんなさい。