グリコ・森永事件を元にした事件に使われた 3人の子供の声。曽根俊也は押し入れにあったテープと手帳から、その声の1人が自分であることにきずく。自分は知らぬ内に犯罪に加担されていたのか、叔父は事件にどこまで関わっていたのか、自分の人間としての尊厳が揺らぐ中、同時に大日新聞社に勤める阿久津英士は事件の概要を調べると同時に徐々に自分の記者としての使命、やる気が取り戻されれていく。曽根は紆余曲折を経て、自分では無い2人の子供の声は兄弟であると言うことが分かる。そんな中曽根と阿久津は出会い、曽根は兄弟が今何をして生きているのか、阿久津は事件の真相を追い求めるために、協力する。旅を経て、兄弟のうち出会えたのは弟だけ。姉は亡くなってしまっていた。彼から聞かされる事件に埋もれて隠された、事件の真相とその後の人生。それは想像を絶するものであり、曽根が生きてきた道とは大きく異なるものであった。同じように犯罪に声を使われ、同じようにわからないまま犯罪に加担させられていたにも関わらず、環境が、親が違うだけでも全く異なる。まるでスーツのボタンを掛け違えたようにその一つだけで、様々な連鎖が起きる。これは映画の世界に限らず、自分たちの経験でも感じるものがあるのでは無いか。少なくとも自分にはある。環境、親、顔で同じ人間、同じ年に生まれたにも関わらず、自分が劣っていると感じることは多くある。しかしそれは人間の本質であり、一人一人が違う人間の美しさである様に感じ、それを伝えたいのではと自分は受け取った。