映画は、1976年のデ・パルマ版と殆ど同じ流れをとっています。
もっとも、70年代の時代を背景に、厳格な親世代に反抗する若者、と言う対立構造を映画に反映していたデ・パルマ版に対し、21世紀の現代では、そうした世代の対立構造は説得力がなく、冒頭にキャリーの出生シーンを入れ、その異様な展開で、母親の狂気を際立たせる、と言う描写を入れています。
これにより、「キャリー」と言う物語の持っている意味が大きく変わってしまっています。
虐げられた者、弱き者が、その隠れた力を振るう、と言うオリジナルから、母と娘、臍の緒で繋がれた女の話になっているのです。
(まぁ、確かにキンバリー・ピアースらしいと言えばそうなのですが)
ただ、この映画の最大の問題は、主演のクロエ・グレース・モレッツ。
若手一番の人気と実力は否定出来ないのですが、いかにも健康的で美しく成長しつつある彼女に、キャリー・ホワイトと言う役が適役であったかどうか。
「キック・アス2」の準備のためにビルドアップしたせいで、胸板も厚ければ二の腕にも筋肉がつき、いじめっ子など、超能力など使わなくともその腕っ節で叩きのめしてしまいそうに思えます。
確かに、神経質そうな演技でいじめられっ子を巧みに演じてはいるのですが、プロムの会場での本来の笑顔を見てしまうと、その前の役作りにどうしても不自然さを感じずにはいられませんでした。
その点では、デ・パルマ版のシシー・スペイセクはハマり役だったのだなぁ、とあらためて思ってしまいました。