
「たとえ世界が滅びようとも、正義は行われよ。」
「ソロモン」とは、旧約聖書に登場する、古代イスラエルの賢王ソロモンのことで、ソロモン王は、賢い裁きをする人の象徴、知恵の象徴でもある。
『ソロモンの偽証』というタイトルは、神から英知を授かった賢王が「偽証」、つまりウソをついているという意味深な言葉なのだ。
これに対して、原作者の宮部みゆきは「最も知恵あるものが嘘をついている。最も権力を持つものが嘘をついている。本作の場合は、学校組織が、社会がと言ってもいいかもしれません。あるいは、最も正しいことをしようとする者が嘘をついている、ということです。」と答えている。
本作の、野心的で情緒的で志の高い生徒たちが、数々の恐怖と困難を乗り越えて「真実」に迫る姿は、まるで『羊たちの沈黙』のクラリスの様であり、過去のトラウマを抱えながら、消せない現在進行系のトラウマとも対峙し、「悪魔」と向き合い、自らの思う「正義」を貫き通す。
「本当のことを知りたいって、そんなにいけないこと?全部なかったことにして忘れればいいの?」
狂乱のバブル景気が密かに終わりに向かいだしていた1990年、クリスマスに起こった一人の生徒の死の真相を、生徒たちが「学校内裁判」を開廷して紡ぎ出していく。
ミステリー大作である本作は、構想15年、連載9年、全700ページを超える 「宮部みゆき」による長編推理小説の映画化。
「事件」「決意」「法廷」という原作の三部構成を入念に再構築し、キャラクターたちを微調整し、テーマから離れた部分は丁寧に削ぎ落とされ『前篇・事件』『後篇・裁判』の二部作で構成し直し『八日目の蝉』の「成島出」が監督した。
ある中学校で起きた生徒死亡事件と、その真相を暴こうとする女子生徒が開く「学校内裁判」の行方、大人たちに見切りをつけた生徒たちがその中でもがき苦しむ様、学校内の「いじめ」「非行」「体罰」「自殺」「隠蔽体質」、家庭内の「DV」「ネグレクト」「愛情不足」「家庭崩壊」などを描きながら「閉ざされた子供の心」を紐解いていく。
大雪で覆われた東京のある朝、『ファーゴ』の様に雪を素手で掘る静かなシークエンスから始まる不穏なオープニングから心を鷲掴みにされる。
「学校のことは私たちが一番わかってます。だから自分たちで調べます。私たち、もうみんな傷だらけです。」
映画化にあたり成島出監督をはじめとする『八日目の蝉』チームが再結集し、1万人に上るオーディションで1年以上の期間をかけて選び抜かれた若手俳優たちが33名の中学生役を務める。
現代の「吉永小百合」を探す中で1万人の中から主人公に抜擢され、本作で演じた役名と同じ芸名になった藤野涼子は、演技経験がほぼ無いにも関わらず、往年の名女優の雰囲気と心を震わせる熱演をフィルムに焼き付けた。
是枝裕和監督の『奇跡』での兄弟共演が素晴らしかった前田航基や、『渇き。』とは正反対の驚きを見せた清水尋也も忘れ難い印象を残す。
そして、石井杏奈、富田望生、板垣瑞生、望月歩、佐々木蔵之介、夏川結衣、田畑智子、黒木華、小日向文世、尾野真千子、津川雅彦、嶋田久作、塚地武雅、宮川一朗太、江口のりこ、木下ほうか、松重豊に加え、『八日目の蝉』からは永作博美、余貴美子、森口瑤子、市川実和子、安藤玉恵らが参加し、見事なアンサンブルを披露する。
「あなたがいい子のフリをやめるなら、お母さんも学校にいい顔をするのやめる。」
主題歌に選ばれたU2の名曲『With or Without You』は、「嘘と矛盾に満ちた世界を生きる全ての人間の苦悩を歌う永遠の名曲。」という想いで成島監督が自ら楽曲提供を熱望した。
これまで日本映画に楽曲使用を許諾したことがない同バンドに、池田プロデューサーが英語で思いを語るビデオメッセージを送付し、それを観たメンバーが映画の内容やメッセージに「共感」して実現したという。
そう、本作のテーマは、誰かに「共感」される事の大切さである。
登場人物の多くは、誰からも「共感」されずに精神状態が不安定になり「孤独」という名の奈落へどんどん落ちていく。
「生徒の死」に疑問を持った生徒は、家族愛に溢れた家庭で育ってはいるが、警察や親や学校に訴えても全く「共感」されない。
「告発文」を公表せずに捨てたと責められる新任教師は、いくら潔白を主張しても同僚から全く「共感」されずに次第に病んでいく。
新任教師の住むマンションの隣人は、パートナーから「共感」されずに人格が崩壊し、数々の問題行動を起こし大きな事件に発展する。
「君を恨むようになった人たちの気持ちを、考えたことがありますか?君にいじめられてどれほど苦しかったか、一度でも考えたことがありますか?」
「ニキビ」のために食事制限をしようとしている生徒は、無神経な親から全く「共感」されずに溜まったストレスを友人に向かって爆発させている。
その親もまた歪んだ愛ゆえに、いくら愛を注いでも我が子から「共感」されることは無い。
純粋に吹奏楽を愛し温厚で優しい生徒は、親友だと思っている友達から全く「共感」されず、逆に冷たく汚く酷い言葉を浴びせられながら奴隷のように扱われている。
日頃から威圧的な学年主任と社会科の教師は、内申書をちらつかせて生徒たちに圧力をかけ学校内裁判を反対し続けるが、生徒たちから全く「共感」されず逆に「反発」され、生徒たちは学校内裁判を支持しだす。
親からの日常的な暴力に耐えながらも非行に走り、家庭でも学校でも誰からも「共感」されない生徒は、同級生たちに暴力を振るい続ける事でしか「アイデンティティ」を保てていない。
そのDVを続けている親も、もちろん家族から「共感」されることはない。
物語の中心にいる「亡くなった生徒」も同じく、誰からも「共感」されずに生きている中で生まれた心の闇を、たった一人の友達に「共感」してほしかっただけ、なのかもしれない・・・。
「そういうのを口先だけの偽善者って言うんだよ。そういう奴が一番悪質なんだよ。」
子供が幼児から成人するまでの20年間で、豊かで真っ直ぐな「心」が育まれるために最も重要なことは「他人からの共感」である。
幼少期で「親からの共感」をあまり感じれずにいると、自分を大切に想える気持ち「自己肯定感」が著しく少ないまま成長してしまう。
十代では、親に加えて「友達」や「先生」などからの「共感」も重要になってくる。
そうやって、たくさんの「共感」を得てから人は自己肯定感を持て、自尊心を持って何事にもチャレンジでき、どんな困難に直面しても「心」が折れずに立ち向かって行けるようになるのだ。
本作は、その「共感」を得ることが出来なかった人々が次第に「天使と悪魔」に別れていき、数々の「罪と罰」を生み出していく。
枝分かれした「運命」に翻弄される人々の中で、主人公たちは助け合い、励まし合い、誰よりも強い「自尊心」を武器に荒波を超え「審判の日」に辿り着く。
「試されているような気がするんです。自分が命を賭けた問題、お前みたいな口先だけの偽善者に解けるかって。」
本作の登場人物の中で唯一、主人公だけは温かい家庭で、愛に溢れる親からの心強い「助言」や「協力」や「共感」をたくさん受けている。
だからこそ主人公は、その「強い心」で「偽善」や「嘘」にまみれた大人たちに「自らの意思」と「正義」で立ち向かい、そして「自らの決断」で、大人たちも目を背け続ける「謎に包まれた真相」に勇気を持って突き進んで行けるのだ。
人は、産まれたその日から、人生という大海原で数々の困難に出逢う。
だからこそ、人は「一人」では心が支えきれない。
人は「一人」で自尊心を持つことはできない。
どんな窮地に立たされても、家族や友達から貰えた「共感」を胸に、人は立ち向かい、そして誰もが想像もできなかった「偉業」を成し遂げる。
そして、たとえ世界が滅びようとも、正義は行われるのだ・・・。
「あなたは悪くない。間違ってはいたけれど、あなたは悪いことをしていない。」