
「【穢れ(けがれ)】不浄。汚れ。死・出産・疫病・失火・悪行などによって生じ、災いや罪をもたらすとされる。」
小野不由美による山本周五郎賞受賞のホラー小説『残穢』(ざんえ)の実写映画化作品。
山本周五郎賞の選考会では「今まで読んだ小説の中で一番怖い」「手元に本を置いておくことすら怖い」という感想が漏れ、非常に高い評価を受けた。
同時期に発表された『鬼談百景』は、99話で構成された怪談短編集で、長編の『残穢』を最後に読めば全100話として完成する仕組みになっている。
実写映画版『残穢』に合わせて『鬼談百景』も99話の中から「追い越し」「密閉」「影男」「尾けてくる」「どこの子」「空きチャンネル」「一緒に見ていた」「赤い女」「どろぼう」「続きをしよう」の10話を厳選し、スピンオフとして実写化された。
中村義洋をはじめ、「戦慄怪奇ファイル/コワすぎ!」シリーズの白石晃士、「バイロケーション」の安里麻里、オリジナルビデオ「心霊玉手匣」シリーズの岩澤宏樹、「へんげ」の大畑創、「先生を流産させる会」の内藤瑛亮がメガホンを取った。
原作者の小野不由美は、大分県中津市に生まれ、父親は設計事務所を経営していた。
そのため幼いころから図面に馴染みがあり「建物」に対する興味や「設計・建築」にまつわる知識、出身地に多く残る「怪奇伝説」や「伝承」、幼少期から両親にせがんで聞いていた「怪奇話」なども本作の設定やストーリーに活かされている。
「ドキュメンタリー・ホラー」に踏み込んだ原作はルポルタージュ文体で書かれており、この映画版の「ドキュメンタリー・フィルム」の様な「生々しい恐ろしさ」にも繋がっている。
怪談雑誌で短編怪談小説を連載している本作の主人公「私」は、原作者の小野不由美そのままの設定で、物語に登場する心霊現象以外の「新居への引越し」「怪談雑誌での連載」「急に体調を崩す」「夫婦で霊を信じていない」・・・など、全て実話である。
本作の監督である「中村義洋」は、『チーム・バチスタの栄光』シリーズで海堂尊、『フィッシュストーリー』他で伊坂幸太郎、『白ゆき姫殺人事件』で湊かなえ、『予告犯』で筒井哲也など、多くの有名作家の「映像化困難作品」たちを「実写映画」として完璧な形で命を吹き込んできた。
中村義洋監督は、本作の脚本「鈴木謙一」の大学時代の先輩でもある。
そして、伝説の『ほんとにあった! 呪いのビデオ』シリーズの初代の構成・演出は、意外にも心霊現象否定論者であるという中村義洋と鈴木謙一コンビである。
中村義洋監督が『白ゆき姫殺人事件』で披露した「ワイドショー」の生々しいフェイク演出と、「殺人事件推理もの」的エンターテインメントの見事な融合。
そこからさらに進化した本作は、「推理小説的アプローチ」と「ドキュメンタリーフィルム感」に加え、さらに説明のつかない「心霊現象」の恐怖までもが加えられた。
つまり本作は、恐ろしくも「日本的」な「フェイク・ドキュメンタリー」の最新進化版であり、中村義洋監督にとって「原点回帰」プラス「娯楽性」のバランスが化学反応を起こした、約束された究極の恐ろしさなのである。
本作の監督・脚本家コンビは、『女優霊』『リング』『クロユリ団地』『劇場霊』の中田秀夫監督による『仄暗い水の底から』や、中村義洋監督『アヒルと鴨のコインロッカー』『ゴールデンスランバー』でも脚本を担当している。
本作の原作者である小野不由美は、全巻大人買いしているほど中村義洋の『ほんとにあった! 呪いのビデオ』シリーズの熱狂的ファンで、原作『残穢』の作風にも多大なる影響を受けている。
小野不由美は歴史のあるホラー・シリーズの創造主である中村義洋監督を自ら指名し、彼も快諾、運命の糸が繋がった。
本作は、中村義洋監督の「徹底的に後味の悪い話をやろう」という思いで制作がスタートした。
竹内結子と橋本愛コンビが、ホームズとワトソンの様に推理し、ついに未知なる「真実」へと辿り着く・・・。
このクライマックスは、現実との地続き感、生理的嫌悪感、触れてはいけない物、見てはいけない何か、後戻りできない雰囲気、不穏な空気からの絶望的な運命、などが入り乱れ、心臓が破裂しそうになる。
「怖いもの見たさ」だけの軽い気持ちでこの呪われた世界に踏み込んでしまった無力な我々観客は、ラストで「おぞましい」禁断の領域へ放り込まれる。
その記憶は、鑑賞後、どこにいても、何日も何日も、ずっと尾を引き、いくら目を逸らしても、目を閉じても、目前に何度も現れる。
もう、脳裏にこびりついてしまい、いくら振り払っても頭から離れない。
じわりと心に絡みついて、ゆっくりと蝕まれるように・・・。
穢れが・・・ずっと、永遠に・・・残される。
「その奇妙な《音》は、ただの始まりでした。」