アイアムアヒーロー | 愛すべき映画たちのメソッド☆

愛すべき映画たちのメソッド☆

映画感想家・心理カウンセラー・芸術家のNatsukiです☆

『映画にどんなに素晴らしいメッセージが含まれていようと
「娯楽性」がなければ作品としては失敗だ』/レオナルド・ディカプリオ



「東テレがアニメを放送しているうちは大丈夫 。」



映画は、ちょっとしたアイデア、少し角度を変えた視点、弱点を逆手に取った表現、それらを上手く組み合わせ、そして、溢れる「映画愛」と情熱を信じて真剣に注ぎ込めば、計り知れない化学反応が起きる場合がある。

世界的に見て低予算でしか制作できない傾向にある日本映画が、世界に通用する映画を生み出せるとすれば「時代劇」か「ホラー」か「是枝裕和」か「北野武」か、そして「アニメ」か・・・と、それ以外のジャンルは誰もが半ば諦めかけていた。

ましてや、世界的にマニアックでシビアな視点を持つファンが多い、そして一定の「スタイル」が既に出来上がっている「ゾンビ映画」で世界を熱狂させる作品を生み出せるとは、本作が公開される寸前まで、世界の誰もが想像していなかった。

そんな状況で、世界の映画ファンが油断していたところに放たれた「ZQN(ゾキュン)ホラー」という、日本映画の新たなる一撃。

原作漫画がスタートした頃に、「いつかこれを完璧に映像化できれば・・・」と微かに期待していた「希望」が、実写映画化された今、遂に現実となった。

本作は、花沢健吾が「現代日本でゾンビパニックが起きたらどうなるか?」を徹底的に突き詰め、「社会に劣等感を抱いていた者たち」の視点で「日常性の崩壊」を描いた原作漫画の実写化。

原作は「ビッグコミックスピリッツ」で連載され、単行本発行部数累計600万部を超える大ヒット作である。

大泉洋、有村架純、長澤まさみ、片瀬那奈、吉沢悠、岡田義徳らの共演で、謎のウィルス感染により理性を失った生命体「ZQN」であふれ返った日本を描いたサバイバル・パニック映画。

まるで「夢」を見ているようだが、日本で公開される前から、韓国、台湾、香港、インドネシア、タイ、フィリピン、スペイン・・・など、世界規模での配給が決定したほど「日本製ゾンビ映画」に世界が熱狂している。

本作は「ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭」で最高賞にあたるインターナショナルコンペティション部門ゴールデンレイブン賞に輝き、「シッチェス・カタロニア国際映画祭」で最優秀特殊効果賞と観客賞をダブル受賞、「ポルト国際映画祭」では観客賞とオリエンタルエキスプレス特別賞(優れたアジア映画に贈られる賞)の2冠を達成し、世界三大ファンタスティック映画祭を制覇という偉業を成し遂げた。

そして、アメリカのテキサス州オースティンで毎年行なわれる音楽祭・映画祭・インタラクティブフェスティバルなどを組み合わせた大規模イベント「SXSW」ではミッドナイターズ部門/観客賞を受賞した。

ポルトガルで開催され、SF・ホラー・スリラー・サスペンスといったジャンルに定評がある「ファンタスポルト/ポルト国際映画祭」のコンペティション部門で公式上映された際に現地入りした大泉洋、佐藤信介監督、原作者の花沢健吾は、約700人が詰め掛けた劇場の、予想を上回る盛り上がりに心底驚いた。

上映後は、客席で鑑賞していた大泉ら3人にスタンディングオベーションが沸き起こるなど熱狂的な盛り上がりを見せ、劇場ロビーでも握手やサイン攻めに合い、その勢いに3人は「ゾンビに襲われているような恐怖を感じた」とコメントした。

映画祭のディレクターを務めるベアトリス・パシェコ・ペレイラ氏は、大泉を「宮崎駿のアニメーションに声優として出演しているので知っていた。ベストアクター賞の候補の一人」と絶賛。

また「普通の人を演技することは非常に難しい。その上で普段と違った状況に出くわすという役柄。時間軸の中で演技にゆるやかな変化をつけていて、プロフェッショナルで芯のある役者だ」とコメントした。

コンペティション選出の理由については「演出・演技・シナリオのクオリティーが高く、コメディーの要素との掛け合わせについてもオリジナリティが高い点にある」と説明した。

さらに「クエンティン・タランティーノ作品以上の衝撃。普通の人がスーパーヒーローになり『アイアムアヒーロー』というタイトル通りにクライマックスに向け巧く作られている。観客が主人公になったような気分で観ることができる」と評している。

昨今、世界的に映画の表現への規制が厳しくなっている。

特に、劇中での喫煙シーンの是非が話題になることも増えている。

日本禁煙学会が『風立ちぬ』の喫煙シーンを問題視し、その賛否が議論されたり、『MOZU』シリーズの喫煙シーンの多さに対する議論も話題となった。

WHO(世界保健機関)が、喫煙シーンのある映画を成人指定とするよう世界的に勧告したことも拍車をかけている。

容赦ないゴア表現もあり「R15」指定を受けた本作では、非日常的な世界の中に訪れた束の間の日常の表現として、あえて「タバコ」も効果的に使っている。

本作の佐藤信介監督は、「劇中で全く喫煙者がいない世界は不自然。人物と人物の間に煙が漂う画も良い。タバコをふかすしぐさの間で、芝居の呼吸感も違ってくる。しぐさだけで感情を表現できるアイテムが一つ失われてしまいかねない寂しさがある」と語っている。

そして「喫煙シーンを気にする方もいるかもしれないが、規制を奨励するわけでも対抗したいわけでもなく、必要があるから撮っている。いろんなことが起こって世の中が変わってしまった後に、ふとタバコを吸うというのは、ちょっとホッとして良い。規制や批判に対する懸念は無い」とも語っている。




「俺が、君を守る。」




佐藤監督は、自主規制で段々と萎縮している映画界から「飛び抜けた表現」が失われつつある事を懸念しているからこそ、本作で一石を投じ、エンターテインメントとしてやり切りたいという想いで、あらゆる規制や問題と戦い、そこから新しい表現をクリエイトしている。

今まで誰も生み出せなかった「邦画の枠を超える独特な魅力を持った作品」を目指したそうだ。

どんなに小さなエピソードも必ず実体験で得た瞬間を描くことに徹し、とにかく生々しい「リアル」にこだわる花沢の「世の中をぶっ壊したい願望」から生まれた漫画『アイアムアヒーロー』。

連載を始めるにあたり行った取材では「死体のビジュアルと匂い」を研究するために、『アントキノイノチ』でも描かれた遺品整理業者や特殊清掃員と一緒に「孤独死」した人の部屋に同行し、普段なかなか接する機会の無い「死」というものに極限まで近付きリサーチした。

ストーリー構成で影響を受けたのは、『28日後・・・』の複数グループによるサバイバルと、『クローバーフィールド/HAKAISHA』の極めて個人的な視点だけの見せ方、だそうだ。

そこから現実世界と地続きのパニック描写、そして絶望がまん延する「リアル」な世界が、自身の人生観や生き様が色濃く反映されている「花沢健吾フィルター」を通して、フレッシュなビジュアルの連続で構築されている。

ちなみに映画版は、花沢健吾の良きライバルである、漫画『ソラニン』の「浅野いにお」が劇中漫画の作画協力で参加している。

本作の素晴らしい点は、まず『ドーン・オブ・ザ・デッド』の「平和がボロボロと崩れていくさま」の「猛ダッシュオープニング」を現代日本で再現しようというスピリット。

そして、現代日本ならではの小ネタや日常的要素を盛り込み、逆にゆっくり丁寧に、「静かで陰気な雰囲気」でジワリジワリと絶望感が加速していくところにある。

ゆっくりと忍び寄る「不穏な予兆」が、テレビニュースやネットの書き込みや会話、「ちらほら現れる変な人たち」・・・などの断片で少しづつ匂わせる。

それが「ある瞬間」からゆっくりと加速していき、ダムが決壊したかのように一気に押し寄せてくる。

平穏な街中で、徐々に、一人また一人と「なんだか普通じゃない人」が増えていき、人や車や「絶叫」が入り乱れる阿鼻叫喚の地獄絵図へと発展する場面の恐ろしさは、ワンカット手持ちカメラの映像の多用と相まって心拍数が限界まで上昇する。

警官が人に噛み付き、下着姿の女性が走り回り、救急車が人々を跳ね、ビルから人が落ちてくる・・・。

さらに恐ろしいのは、主人公が全力で走って逃げる先が正解ではない、という点。

どの方向へ逃げても大勢の逃げ回る人々と「人を襲う人」が四方八方からやってきて、見慣れた日本の街並みなのにどこにも逃げ場が無い修羅場と絶望感の世界へと観客は放り込まれる。

スティーブン・キングの原作をトラウマ級のアレンジで映画化した『ミスト』や、ザック・スナイダーの『ゾンビ』リメイクの絶望世界『ドーン・オブ・ザ・デッド』や、スピルバーグが「911後のアメリカ」をベースに残酷描写満載でリメイクした『宇宙戦争』の様に、テレビやネットの書き込み以外の「確かな情報」がほとんど得られない「主人公の視界」だけで物語が展開する本作のスタイル。

それにより、この異常な状況がどのくらいの規模で、何が原因で、そして世の中で「何が起きているのか」が全く判らない点がとにかく恐ろしく、そして「もしも身近な街がゾンビだらけになったら」という現実感に溢れた光景の積み重ねで、絶望感が何倍にも増している。

そうやって観客に「見えない世界」までもをどんどん想像させる。

だからこそ、観客それぞれに、観客の数だけ違った「想像の恐怖」が生まれる。

ちょっとしたアイデア、少し角度を変えた視点、弱点を逆手に取った表現、それらを上手く組み合わせ、そして溢れる「映画愛」と情熱を信じて真剣に注ぎ込めば、計り知れない化学反応が起きる場合がある。

どう考えても「銃」が無いと生き残れない状況の中で、法で規制されていて銃を使えない、そもそも銃が身の周りに全く無い状況、だからこそ生まれる緊張感。

たとえ奇跡的に銃を所持できていても、真面目で律儀な「日本人らしい」性格だからこそ「いざという時」まで武力に頼らない、だから生まれる危機とスリル。

そして、良くも悪くも「日本人らしさ」溢れる主人公が、人生の、そして「自分の殻」を打ち破り大きく成長する瞬間に、登場人物一同、そして観客一同、惜しみない拍手喝采を贈ることとなる。

この「日本ならではの縛り」の数々は、時に危機的状況を招き、時に笑いを誘い、そして、ここぞという時に「社会に劣等感を抱いていた者たち」を真の「ヒーロー」に変える・・・。




「英雄、ただのヒデオです。」