
「志々雄が京都で暗躍している。拙者が人斬りをやめたから、志々雄がその役を引き継ぐことになった。それを止めることは、自分の役目。今までありがとう、そしてさようなら・・・。」
「審判の日」を乗り越え、今も自分の信念を貫き前人未到の困難な道を寡黙に突き進む主人公は、浅草の劇場で喜劇を「笑いながら」楽しんでいる場面で登場する。
彼の望んだ「平和な世の中」を心から謳歌している様にも見える。
しかし、まだ世の中は「憎しみ」で溢れていた。
暴力で世の中は変わらないし、暴力に怯えているだけでも世の中は変わらない。
人を殺める事を止めた男は「不殺」の誓いを胸に生きている。
いつの日か愛する人たちと共に笑い合いながら過ごせる日を夢見て。
その深い想いは、頬の傷に象徴される様に重い十字架となり彼を悩ませ続ける。
そして、その「正義」を嘲笑うかの様に再び数々の試練が彼の前に立ちはだかり「怒り」を持った悪者が「笑う」世の中が訪れようとしている。
「人斬りに戻って出直してきな。」
「善」と「悪」は紙一重で、表裏一体に誰もが両方を併せ持っている。
主人公でさえも善と悪に生き、今は悪を封印しているし、狂気に満ちた最狂の敵である「悪の権化」も元は主人公と同じ出発点にいて、今は陰と陽の関係にある。
旅の途中で出会う少年も家族を全員失い「悲しみ」と「怒り」で心が壊れ自らの手を血で染めかけるが「悪」の裂け目の淵で踏みとどまる。
どんな立場であれ、どんな生き方であれ、誰もがちょっとしたキッカケで、些細な出来事で「善と悪」が逆転してしまう可能性を秘めているのだ。
誰もが悪を望んでいるわけではないのに、運命のいたずらで善意が壊れ不運が重なった時に潜在意識の底から悪が目覚めるのだ。
だから善と悪の境界線は非常に曖昧で脆い。
「憧れ」「恨み」「嫉妬」「怒り」・・・善の心を保つための「理性」や「愛」を失った者たちの壮大な葛藤の物語は、最終章という海岸へ流れ着いて幕を閉じる。
そして、我々は新たな一人の男に導かれる。
伝説の最期へと・・・。
「小さな手を汚しても誰も喜ばない。お前を守り家族を案じ続けた兄上のような男になるでござるよ。」
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