
「父さんの息子でいちゃダメ?」
幼少の頃の「リチャード・ドナー版」との出逢いから憧れ続け、今もアメコミヒーローの中ではズバ抜けてNo.1の「心のヒーロー」であり続けるスーパーマンと、再び巡り逢える日がやってきた。
それを『バットマン/ダークナイト』シリーズのクリストファー・ノーラン/デヴィッド・S・ゴイヤー/ハンス・ジマーが原案・脚本・音楽、大好きな『ウォッチメン』のザック・スナイダーが監督という夢のプロジェクトが実現させてくれた。
思えば映画版一作目は、「ヘリコプターの墜落」「バスの転落」「電車脱線の危機」「人工大地震」等のリアルな描写で、強烈に「怖い」という印象が強い作品だったが、それ故に忘れられない心の一作だった。
今作は、心を揺さぶられる名場面の連続で、過去の映画化作品の中でも間違いなくベストであり、今まで以上に「スーパーマン愛」に満ちている。
『バットマン』のウェイン社や、次回作へ繋がるであろう「レックス・ルーサー」等のリンクを散りばめ、過去の『スーパーマン』作品へのオマージュ場面も多々あるという抜かり無き完成度。
アニメ好きザック・スナイダー監督の明らかな『AKIRA』と『DRAGONBALL』の再現も日本人として嬉しくもあり本当に素晴らしい。
『スター・ウォーズ』に匹敵するスペクタクルと映像が繰り広げられるクリプトン星のオープニング。
大友克洋も驚くであろう『アベンジャーズ』を超える「都市破壊バトル」のクライマックス。
それらの間には、幼少期から青年期へと成長する過程で誰もが味わう「孤独感」や「疎外感」に悩み苦しむクラーク・ケントの葛藤する姿が回想形式で描かれる。
「他人と違う」ことに苦悩する子供を励まし、暖かく支えてあげれるのはやはり最後は親だけなのだ。
史上最も偉大なスーパーヒーローを「我が子の様に」、愛情豊かに育て上げた養親であるケント夫妻の「子供の人生」を優先させた生き様に涙が溢れる。
人生の中で「自分が存在する意味」を追い求める「自分探しの旅路」は誰にでも平等に長く険しいものである。
『ダークナイト』シリーズのバットマンは「正義とは何か?」というヒーローとしての苦悩に直面したが、『マン・オブ・スティール』のスーパーマンは「地球上でのアイデンティティ」という自分の存在の根本という大きなスケールと奥深さを描いている。
ブルース・ウェイン同様、クライマックスで「ある重い十字架」を背負う事となるクラーク・ケントは、この先も自らの「心」と戦い続けるだろう。
数々の困難を乗り越え、アイデンティティの「答え」に辿り着いたクラーク・ケントは、世界の人々の前に空から「神」の様に現れ、世界を救い、「人類の救世主」となる。
そして、「プラネットへようこそ。」という二重の意味を持つ素晴らしいセリフと共に幕を閉じる。
ついに新たなる《神話》が始まったのだ。
「息子だとも。」
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