( 1/2 から続く)

            「情報・知識・教養」 ( 2/2 )

 

ご参考に、「カーラーマ経」の文言を掲載しておきます。同経は上座部(根本・釈迦)

仏教の『増支部経典』(アングッタラ・ニカーヤ)に含まれる経典で、釈尊の言葉と伝え

られるものです。まさに、依り処は、“自分”と“法” のみ、経験し考え、自ら確かめなさ

いということ。

ご留意ください。釈尊は、自分を信じなさいなどとは言われていません

テーラワーダ仏教のスマナサーラ長老の訳を掲げておきます。

 

•耳で聞いたこと(神の声など)に頼ってはならない。

•世代から世代へと言い伝えられたものに頼ってはならない。

•伝統や伝説、風説に頼ってはならない。

•聖典や古典に頼ってはならない。

•論理(思弁)に頼ってはならない。

•理屈や理論に頼ってはならない。

•人間がもともと持っている見解に頼ってはなら ない。

(たとえば日本人なら日本独自の考え方 や論理の組み立て方など)

•自分の意見や見解と同じということに頼っては ならない。

•説く人の立派な姿かたちに頼ってはならない。

•説く人の肩書きに頼ってはならない。 

 

 

 

                           「情報・知識・教養」 ( 1/2 )

 

 H29.04.29  5月には入院を含め連休等私事重なり、ブログからは暫く手を引きます。もと

もと考えて準備もほぼできている投稿は結構長い中断が予想されますのでこれを取り下

げ短い題材に変更します。私なりに以前から考えていた「情報」・「知識」・「教養」の関係

を整理しておきます。最近漸く人様に話せるようになってきたと思うからです。

 

「情報」とは、知識の断片。知識を構築していくための材料・素材。それ自体の学術

的価値は横におき、応用範囲は狭く、日常生活の極所に有用ではあるが、それ自体では

発展性に乏しい。

 

「知識」とは、複数の「情報」が組み合わされて、一定程度まで広さと深さが体系化され

た状態。自らの体験が組み込まれ、「情報」は思惟することで加工され、社会生活、思考

活動の基礎を為し、その発展の素地を形成する段階まで発展している状態。勿論、新

たな「情報」は「知識」を広く深くするので、アンテナは常に張っておく必要がある。

 

「教養」とは、得られた「知識」思考を元にして、自らの人生、社会の姿を考察し、その

あるべき姿とそれに向かっていく自分を律していく素養。言い換えれば、判断・価値の基

に達した状態。そしてそれは、「理想・志」の基盤、母胎となっている状態に達している

ものと思われます。

 

さて、この過程で、読書すること、自ら求め考えることの意味・必要性はどこにあるのだ

ろうか。

 

まず「情報」を表面的にそのまま受け入れるには考えることは重要ではない。マスコミレ

ベル。SNSの大部分の状態。気楽に好きなことを話しそこでストップ

これを「知識」に高めるには考え、ある程度の大局観を持ち、自分なりの整理と探索が必

だろう。怪しいものも多いが、ニュース解説がこのレベルに相当しそう。解説を可能に

するには相当の「情報」の蓄積と思索への努力が必要であり、感受性を保っておかなくて

はならないと思われます。このアンテナを張り続ける努力が考えることの大きな要素と考え

られます。世間のノウハウ本はせいぜいこのレベル止まりでしょう。

 

次は、「教養」への段階、飛躍です。

 

一般に市販されている人生論・生き方模索提案型の書籍は、「教養」への橋渡し程度と見

做して良いでしょう。この段階で立ち留まってしまえば、人生への部分的対応に終わり、そ

根幹を欠いたままで、人生を有意義なものへと昇華させる力は湧いてこないでしょう。

死に臨み“やれることはやった” と納得するまではいかないでしょう。ヒントは与えてもらう

にせよ、最後はあくまで自分で見極める努力と考えています。

つまり、人の世間の真実を把握し、自己の生き方、理想を追求しようとするにあたり、そ

価値基準作成に資することができる状態を「教養」というと思うわけです。

そこまで行かなくては、「教養」は本物ではないと思います。

 

繰り返しになりますが、「教養」の本質とは、志・理想を生み出し人生を支え続けるるもの

と解釈しているわけです。ここまでくれば本物の人生の「智慧」でしょう。「智慧」と「教養」の

関係は、また----

 

さて、仏教の大原則は、 『自帰依、法帰依』 『自灯明、法灯明』 依()り処は、“自分”と

“法” のみ。まさに、自ら考え確かめよということです。

 

何度か書いてきた言葉ですが、「世間解(セケンゲ)」と言う言葉を思い起こしてください。

仏の十号(尊称)の一つで私の好きな言葉です。

『金光明経』に曰く、「若()し深く世法を識()らば即ち是れ仏法なり」と。世の中を知悉

すれば、仏の知恵を得られる、仏にも成れるという励ましです。将に、経験と思考洞察が

その原動力であることを示しているものと解釈できます。      ( 2/2 へ続く)

 

( 3/4から続く)

植物からの薬、医食同源に想う  ( 4/4

 

以下、記憶にある文献から(購入時期をみると二十歳代後半に集中しています)。

 

最初に、

弘法大師空海『秘蔵宝鑰』冒頭 (日本の思想1)筑摩書房 冒頭から

「悠悠(ユウユウ)たり 悠悠たり 太(ハナハ)だ悠悠たり

内外(ナイゲ)の縑緗(ケンショウ) 千万の軸あり

杳杳(ヨウヨウ)たり 杳杳たり 甚だ杳杳たり

道をいい道をいうに百種の道あり (中略)

牛頭(ゴズ)草甞(ナ)めて病者を悲しみ

断菑(ダンシ) 車を機(アヤツ)って迷方を愍(アワレ)む」 (以上引用)

断菑:中国周の文王の子、周公旦のこと。孔子の尊崇で有名。

 

私はこの文章をきっかけとして中国古代史?神話?に興味を持つに至りました。

 

次に『捜神記』干宝 東洋文庫10 平凡社は、神農から始まります。引用省略。

「捜神記」は、4世紀中国の東晋の干宝が著した三十巻の志怪小説集。

 

最後に、司馬遷『史記』「伯夷列伝第一」から。よく知られた話です。

伯夷(ハクイ)・叔斉(シュクセイ)の二人は周の武王が天下をとってもこれに仕えるのを

潔しとせず、首陽山に隠れ、ワラビを食料に生活していたが、餓死する直前の詩。

「彼の西山に登り、その蕨(ワラビ)を採る。暴を以て暴に易(カ)うも、その非を知らず。

神農・虞・夏は忽焉(コツエン)として没す。我は安(イヅク)にか適帰(テキキ)せん。

嗚呼徂(ユ)かん。命の衰えたるかな」 (以上引用)

大意:暴力を用いて天下を簒奪した武王を非難し、伝説的な王である神農

舜・禹の築いた平和な世が去ったことを偲(シノ)び、この世は終わりだ、私たち

はいったいどこに帰属すれば良いのか。どうしようもない、天命が衰えてしまっ

たのだ。どこにも居場所がない。

 

ここまで書いてきて、本棚に中国の詩人『憂国詩人 屈原』集英社が目の端に映った。

時間と体力が許せば「天問」「離騷」--読んでみたいのだが--若い頃の感動をもう

一度--

このブログをご覧になってお分かりかと思いますが、書き残しておきたいテーマが、

次々と湧き出てきます。さて、どうしたものか。 

 

☆ すみません。体調が回復しません。次回投稿( 04/25予定)を、サボリます。すみません。

 

 ( 2/4 から続く)

植物からの薬、医食同源に想う  ( 3/4

 

私は思い出す。若い頃の感慨深い思い出を。そして意図せずして知識は広がりそれが

現在に至っているのを。

 

大学時代だったでしょうか。発端は“炎帝(エンテイ)” 別名 “神皇(シンノウ/ジンノウ)”の名と

姿を知ったことです。その姿が異様・衝撃的だったのです。光背が炎だったのです。なお、

空海の著書 『秘蔵宝鑰(ヒゾウホウヤク)』では、“牛頭(ゴズ)”という名で登場します。これは

彼が牛頭人身であり頭から炎が立っている姿です。不動明王の炎ではなかったのです。

 

御参考 : “炎帝”とは 以下いちいち出典は記載しませんが、インターネットの説明文

を編集したものです。

炎帝は三皇五帝の一人 火徳の神であり、牛首人身。鍬くわなどの農具を発明し、五

穀をまいて人類に農業を教え、百草をなめて薬草を見分け、医薬の道を開いた。赤い

鞭で百草(たくさんの植物)を叩き、汁を嘗めて薬効や毒性を検証、人々に教えた。自

らの身体を実験台に供した結果、体に毒素が溜まり、そのせいで最終的に死んだとい

う。(私のおぼろげな記憶では、その毒が炎と化して噴き出したとも)。そのため、日本

でも医者や商人の信仰の対象とされてきた。なお、三皇とは、一般に、神農・伏羲・女

媧、五帝とは、黄帝・顓頊・帝嚳・堯・舜 (これ以上の説明は省きます)

 

実際は、古来無数の人々の経験により薬草・毒草を見つけてきたのでしょうが、先人

たちは過去のこの尊い犠牲が、病人を癒し健康を維持促進してきた尊い姿に感謝し

顕彰し崇めてきました。私も気楽に口にする漢方薬発祥の云われ(神話)を知り深く感じ

いったものです。後日?接した、司馬遷『史記』、陳舜臣『中国の歴史』(平凡社)、『中国

のあけぼの』「世界の歴史3」河出書房新社にも、神話の世界ゆえかあまり触れられては

いません。人格神は夫々の民族の観念・幻影ではありますが、なにか寂しい思いをしま

した。

 

文献御紹介の前に、少彦名神社(神農さん)に触れておきます。同神社は製薬会社が

社屋を連ねる大阪市中央区道修町(ドショウマチ)の片隅に祀られおり、祭りは神農祭として

盛大に行われています。少彦名命は大国主神と国造りに当たった日本の薬の神様です。

日本人は、自分達の神と中国の神を崇め同一視し合祀してきたのです。

また、大国主命・少彦名命は農業にも力を注ぎ、後者は「田作りの神」とか「農神」、「牛飼

神」とか「農祖」などと言われる場合があるそうです。

 

お気づきの方も多いでしょうが、神農・少彦名は、共に農業()と薬(医)に貢献していま

す。日本は中国の思想に影響されたのかも知れませんが、そこには “医食”同源との考

え方を読み取ることができます。東洋医学の基本的な考え方でしょう。

更には科学的証拠もないままに、「健康食品」なるものに飛びつく我が日本人の心情の

源をも辿(タド)れそうです。

 

私が長くお世話になった会社は道修町と指呼の間 淀屋橋に本社があり(通称住友村)、

昼休みの散策で同神社に気付き嬉しくなり、以降先人に感謝するために散歩がてら何度

か参拝しました。続けてご紹介する文献上での出会いを契機に、徐々に知識を積み重ね

てきました。なお、ここに登場する神々・人物に関するこれ以上の説明は省き、以下に引

用する諸文の解説もできるだけ省きます。長くなってしまいますので。   ( 4/4 へ続く)