雪国の人2
誰にでも一つや二つ、青春時代は苦くてほのかに甘酸っぱい思い出があるだろう。
人は青春に躓き青春に涙する。その躓きは誰でもが経験する通り道だ。
青春時代はその只中にいるときただその時を精一杯生きているだけである。
過ぎ去った者だけがふと思い出す青春の光と影。青春の蹉跌と呼ぶには大げさな、普段は思い出すこともない、しかし思い出すときにはいつも心が少し痛む思い出。
私が二十歳をいくつか過ぎた頃の話だ。
私は東北のとある県で仕事をしていた。地元を離れて寂しかったこともあり、夜はあるサークル活動に参加していた。その中にとても優しい女の子がいた。
彼女は,会社でボランティア募集の新聞記事を見てこの活動に興味を持ったらしい。
何度か活動を一緒にするうちに,私は彼女の優しさにとても惹かれるようになった。
彼女は,清楚な感じの人だった。遠慮がちで、控えめで,いつも自分のことより相手のことを考えているような人だった。
ある時,グループの飲み会の話の中で彼女が母親と二人で暮らしていることを知った。
私の男友達は,
「お前,あいつのことどう思っているんだば? あいづだっきゃ,なのごど好きだね。つぎあってみろ。」などと冷やかした。
私は本当にそうかなと疑問に思っていたが,ミーティングからの帰り道に同じ方向だった彼女を何度か車で送っていくうちに,少しずつ彼女の控えめなところがちょっと心配になった。言いたそうにしていることがありそうでも結局、飲み込んで何も言わない彼女。
私は彼女とゆっくり話をしたいと思うようになった。
「今度,会社のSと、あいつの彼女らと一緒に飲みに行ってみない?」
「うん。」
と彼女は恥ずかしそうにうなづいた。
私は少しずつ彼女と二人で話すようになった。
特別,デートに誘ったことはないが、なんとなく二人が近しいような感じになることが多くなった。
サークルの友人らは,
「おめぇ,あいづのこどどうすんだ? このままだば中途はんぱだべ。ちゃんとつぎあえ」
とせかすように言った。
しかし,私は好きとか,そういう恋愛感情とは、彼女を思う気持ちは違うような気がしていた。大切な子だけれど,例えば妹のように大切というか…。
じっと心の奥を確かめる様に相手を見つめる彼女の目を大切にしなくてはいけない。
そんな気持ちでいるうちに私は,別の女性に振り回されて落ち着きがなくなって行った。
そして勝手に傷ついていたが、人の気持ちを思いやることができないほどだということは気づいていなかった。。
少し時間がたったのだろう。
人の心は都合が良くできている。少し元気になると彼女はどうしているのかと思い出した。逢って癒して欲しいとでも思ったんだろうか。
彼女とは逢うことはできなかった。
いつの間にか彼女は見合いをして、結婚することになっていた。
私は驚いた。どれほどの時間も経っていない。まだ、若いだろうに。二十歳になったかどうか。
相手はすこし年の離れた男性だと聞いた。
いつそんな話があったのか。彼女は随分考えていたのではないか。
もう一度逢って彼女にきちんとおめでとうと言いたいと思ったがやめた。
大体そういう間柄かよ…。言いたいのはおめでとうなんかじゃないだろう。
突然、ポカンと置き去りにされた様な気分だった。いや自分が置き去りにしていたのかもしれない。
おめでたい。私はおめでたい人間だ。
結局彼女とはそのままずっと逢わなかった。私の記憶の中では二十歳の頃の彼女のままだ。少し、守ってあげないと傷ついてしまいそうな…。
雪国の人1
誰にでも一つや二つ、青春時代は苦くてほのかに甘酸っぱい思い出があるだろう。
石川達三の小説を待つまでもなく、人は青春に躓き青春に涙する。その躓きは当たり前の人生の通り道だ。
青春時代は振り返り感じるもの。その只中にいるときはただその時の自分を生きているだけで精一杯だ。
幾つになってもふと思い出す、青春の思い出。
昔 青森で生活していた頃,あるボランティアサークルの活動に参加した。
雪国の冬は長くて寂しい。
夏が一瞬であるかのように人々は夏を愛おしんで祭りに乱舞する。
いや、夏は確かに一瞬だ。一年の半分は冬、春と夏と秋が残りの時間を分け合っている。
日々悶々と過ごしていた僕は出会いが欲しかった。誰でもいいから話をする相手が欲しかった。だって寂しいから。
仕事が終わればアパートに帰り、テレビを見て眠くなるのを待つ生活は寂しかった。だからとにかく誰とでもいい、出会いが欲しかった。
サークルのメンバーに女の子がいた。活動に興味があったのかどうかわからないが地元の子で綺麗な人だった。
当時は若い子も本当にナマッテいたように思う。
僕はその女の子にちょっと関心を持った。かわいい人だったし、少し,かげりのある人だった。だってそうだろう。翳りのある綺麗な女性は皆が関心を持つのだ。
それに職場のお節介なおばさんの娘がその子を知っているようだった。あろうことか僕の気持ちを当然わかっているとでも言うようにおばさんは、
「メンコイハンデいい気になってるっきゃぁの。ツギアウンダッキャマイネ。」と言い捨てたのだ。ちなみに次に会うのではなくて付き合うのはダメだということだ。
職場のお節介おばさんが寂しい僕の前に立ちはだかったことで純粋な僕は、それは私が決めさせていただきます、と心に決めたのだった。
逆境は時に無駄に人を燃え上がらせて道を誤らせる。
勇気がいるがとりあえずサークルの名簿にあった勤務先の電話番号に電話した。
用事はないが用事のない電話をすることで関心があるように受け取ってもらう作戦だ。
彼女の言葉に耳を澄まし、そのナマッタ言葉の端橋に、電気を通した電話の声を通じて、彼女が自分を嫌いでないかどうか感じ取ろうとしたがよくわからなかった。
何度そんなくだらない電話を繰り返しただろう。
当時は携帯電話というものがなかった。
職場の電話はなんの良心の咎めもなく使えたが、周りのおばさんに聞かれるから使えない。
十円を何枚か握りしめて一階まで降り守衛さんに聞かれない様に小声でロビーにある赤電話から掛けていた。
何度目かの電話は、さすがに何か言わなくちゃと決めていた。そうでなければ全く何も進展しないような雰囲気で時は流れたのだ。
「うんとさ、きっちゃテンでもイガね?」
彼女もこういう方向の話には出方をきっと決めていたのだろう。
「ウーン。最近かちゃくちゃねくての。」
「……」
僕には理解できない言葉だったが要するに仕事が忙しくてというようなことを言われた。
時節柄本当に忙しかったのか,多分あまり僕に興味がなかったんだと思う。受話器を握りしめて見た窓の外は,雪がナナメに降っていた。景色全体が真っ白で,雪は目をこらさないとどんな風に降っているのかもよくわからなかった。
「そんなに仕事が忙しいの?」 「う~ん。わの会社だっきゃ,ひどんいだぁ。人使い荒くての。ほんとにかちゃくちゃねぇよ~」と彼女は言った。 僕がその意味を分かったのは電話を切って地元に人に言葉の意味を聞いてからだ。
なるほど、と思いながら。言い訳だよなと思いながら。
しかし、サークルでも顔は合わすし気まづくならない程度の関係は保たねばならぬ。
ある時は何故か自分のアパートにも来たようなような気がするが何故にそのような状況になりそこでを話したか覚えてないが恋人同士になったという記憶はない。
彼女の家の近くのスナックで二人で酒をのんだこともある。またしても何を話したか良く覚えていない。
みすぼらしいマスターが一人でカウンタの中で、客よりも酒を飲む様な小さな店だ。
彼女はジャイアントコーンをおつまみに頼んだ。僕はその時ジャイアントコーンという食べ物を知らず、「馬が食べるようなものだな」と間抜けにも言ったのだけは覚えていて、恥ずかしい…。
店を出ると外はシンシンと大つぶの雪が降っていた。シンシンだから外に出るまで気づかないのだ。
少しでも彼女のそばにいたい。だから無理やり送ると言った。
彼女はしつこい男にうんざりし、家の前でキスしたいと言った酔っぱらいに騒がれるのは困ると思ったのかもしれない。
大きなぼた雪が,街灯の明かりに照れされた瞬間、そこから湧き出た様に白く光って落ちてきていた。
冷たい彼女の唇にキスをした。
一瞬カサカサの唇が滑り過ぎていった。大きな雪の塊が二人の間にどんどん落ちてきた。
それからも多分彼女は忙しいと言い,僕はなんと言って電話を切ったのか覚えていないような電話を何度かしているのかも知れない。
僕は,今は名前も忘れた喫茶店で本を読みながら何時間か時間をすごしていた。
彼女を待っていたのだ。
雪は昼からずっと降っていた。
喫茶店の中は暗かったが白熱電球色の光とストーブの音、食器のぶつかるカチカチという音、人同士の会話の重なり合いがコーヒーの香りの中でぼやっと暖かさを醸し出していた。
ドアが開く度に白い雪が照らされてドアの向こうに見える。
始まってもいない恋なのに終わったように寂しさだけが心を満たしていた。
「わいはぁ。かちゃくちゃねぁじゃ。」と言ったような気がしたが彼女は来ない。
店の中には有線放送なのか昔のフォークソングがずっと静かに流れていた。
歌っているのは森田童子というシンガーだと後で知った。
















