その年、2011年は教科書改訂の年にあたりました。
教科書は4~5年で変わります。
小学校の教科書が変わるとなると、それに
準じたドリルや教材も内容が変わります。
その編集に関わる我々編集プロダクションの仕事も
それ以外の年の2倍近くに増えるのが通例です。
しかも、その年はあるクライアントのシステムの
大幅変更が予定されていました。
データをサーバに用意して、変更箇所だけを指示すれば
一気に新しいデータを吐き出してくれる「自動組版」
というシステムを構築を予定していました。
ただ、その前に準備するデータを精査しないといけません。
役割は、その講座をスタートのころから知っている僕の
ところに回ってきました。
アロマとの出会い
別のクライアントから2月に話があったのは
「アロマテラピー検定のガイド本」の企画・編集でした。
その夏の賞与支給のとき、社員に渡したメッセージにこう書いています。
「3月11日の東日本大震災で、私たちの生活も大きな影響を受けました。そんな中、ことあるごとに考えたのは、この仕事を選んでほんとうに良かったということです。本を作るという仕事、そして子ども達に届ける誌面に関わっているということ。大げさにいうなら未来のための仕事をしているということ。
(中略)
今回、御縁でアロマテラピーの仕事をすることができるのは、本当に思いがけない幸運だと感じています。
人間の本能に働きかける「香り」というものにめぐりあえたこと、植物が生み出す原始的なパワーであるということ、知るほどにこのタイミングの素晴らしさを感ぜずにはいられません。
そして素晴らしい著者との出会いです。(後略)」
ノートに書いた肉筆のメッセージを社員にはコピーして渡していました。
酒を飲みながら書いていたので、後半字が乱れているのはご愛嬌でしょう。
それでも、この人生の転換点でアロマテラピーと出会えていて、
ほんとうに良かったと、5年がたった今でも、心の底から思います。
そのほか、保育士さん向けのダイアリーの改訂作業、など
その年、編集2人、デザイン2人、それと僕という総勢5人の
編集プロダクション・スキップは、山ほどの仕事を抱えていたわけです。
一歩を踏み出そう
その年のアロマテラピー検定には、必死の勉強の甲斐があって、無事1級に合格。
前回書いた、絵描きさんたちの窮状を聞くことが多くなってきました。
7月のブックフェアでの大沢在昌氏の講演や、
9月のベネッセでの福武総一郎会長の講演を聞きながら
自分自身の中で、出版の世界を変革したいという想いが募ってきました。
当時のノートを開くと、ほとんど毎週のようにスケジュール調整と
社員ごとの各担当ページの進捗の確認をしています。
計画停電や、余震や原発事故の不測の事態など、
いつなんどき、とんでもないことがあっても最善のことができるように
誰にでも自分が変われる体制を整えていた記録です。
そんなハードワークのおかげで、会社の通帳の残高は、
会社創立以来の記録とも言える1500万を超える留保を
キープできるところまできました。
電子出版とは、どんなものなのだろう?
変革の手段になるのだろうか?
2011年の僕が抱いていたのは、
そのレベルの興味だったのです。