後発国が内外のきびしい条件下で急速な経済発展を試みようというのであれば、権威主義的な政治体制と開発戦略は避けられない。しかし主張されなければならないのは、そうした権威主義体制のもとでの開発戦略が成功裡に進められるならば、その帰結として、権威主義体制それ自体が「溶解」するという論理が存在しているという事実である。ここしばらくのあいだに韓国と台湾を舞台に演じられた激しい政治的民主化の動きは、この事実を象徴的に示したものだということができよう。韓国、台湾は、後発国経済開発の有力なモデルである一方、権威主義体制「溶解のモデル」をも提供したのである。

一九八七年の民正党代表盧泰愚による八項目民主化提案、いわゆる「六・二九民主化宣言」は、韓国の政治が軍部を背後においた権威主義体制から、国民の政治的要求を体現する民主主義体制へと急角度に転換したことを示す象徴的なできごとであった。一九六一年の軍事クーデタ以来、韓国における組織化された政治勢力は、唯一、軍部のみであった。南北対立のもとでこの国を強固にも支えてきた軍部の力が卓越したものであったのは、当然である。軍の頂点にいたのはもちろん朴正煕であった。朴の指導力により強力な経済官僚テクノクラートが権力と威信を身につけることができた。彼らの擁したイデオロギーが、「開発主義」にほかならない。