「ただ待つだけ。」本当にそんな言葉しかない一週間だった。

1月3日
市川警察署へ行き、担当刑事からの事情説明と事情聴取を受けました。
自宅で死去した場合、死亡診断書が出ない為、警察署から依頼された医師が死亡検案書の作成を行います。その検案書の記載の為、警察が事件性の有無を捜査することになるそうです。

事件性があれば良いのか分かりませんが、その時までに思ったことや状況を刑事さんに説明しました。

警察署裏の遺体安置所で妻の変わり果てた姿と対面しました。もっと何か出来たのか自問自答を今もずっと考えています。

4日には遺体引き取りが出来るだろうとのことでした。

1月4日
5日は友引だったので、5日通夜で6日葬儀の予定を考えていました。
義理の母の葬儀をしてもらった葬祭社に電話で連絡しました。遺体引き取りから全てが始まると言われました。

警察の連絡を待ちます。

妻の通帳を刑事段に渡したのも忘れ、通帳を止めてしまいました。少し失敗したと感じました。そして、1日の出金制限もありました。確認しておいた方が良いです。

 
4日の夜、遺体引き取りと説明があると言うことで、再び市川警察署へ向かいました。今度は娘と妻の弟も一緒でした。
 
事件性は無く、遺体は葬祭社が引き取ってくれました。
娘は葬儀場の遺体安置所で実の母の変わり果てた姿と対面しました。
淡々としていて、感情を読み取れませんでした。
葬祭社で葬儀の打ち合わせを行いました。
 
死亡検案書は6日予定だそうです。
6日の葬儀は無くなりました。
葬儀の場所より火葬場の空きの問題の方が大きいことを知りました。
肩幅などの関係で棺桶が通常サイズでは無く、ワイドサイズと言うことで市川市火葬場では入らないので、火葬が出来ないことを知りました。
 
浦安市の火葬場で9日の午後もしくは8日の朝早くと言う予定を聞かされ、8日を選択しました。
 
7日が通夜で8日葬儀と予定が決まりました。
 
話が進むと骨壺の大きさも関東と関西で違うことを知りました。
それと今までは骨壺に入らない骨の行方など気にしていませんでしたが、市外の住民の骨は全部持って帰ってくださいと言うことを知りました。妻が大好きだった実家の墓に入れてもらうことを義理の父に頼むことにしました。
 
嫁ぎ先より実家の骨壺の方が大きいと言う変な状態になりました。風習や墓の大きさですから、仕方がないです。
 
この時に骨壺の大きさを教えてくれた松山の葬儀場で妻の自宅用祭壇を後日買いました。
 
紆余曲折がありながら、ただ時間を過ごしていました。
何もしない2日間は長かったです。
 
妻のスマホを見ながら、知っている人2人だけに連絡しました。
 
妻の親戚もコロナ禍で来ないし、妻の実家のマンションの人も知らせないことにしました。コロナ禍は言い訳なのかもしれないと言う後ろ髪引かれる思いがありました。
 
花き市場が8日からの為、バラのストックが年末で無くなり、花が小さいと言うことも言われ、バラで祭壇を飾ることも出来ませんでした。その苦しみは事務所からもらった献花にも出ていました。悔しかったです。
 
本当は9日や10日に葬儀をすれば高くてもバラを飾ることが出来たのにと言う後悔はありましたが、やみくもに時間を浪費するのはダメだと思いましたし、9日に松山で戒名とお寺での改めての葬儀をすることを決めました。
 
そして、7日になりました。
 
ブログを読んで頂き、ありがとうございます。
記事に失礼な点があれば、申し訳ありません。