初めてアコースティック・ギターを手にしたのは、中学1年生のころ。国産で、チャキというメーカーの派手なギターでした。後に、それが世界のアコースティック・ギターメーカー、ギブソンのサザンジャンボ、というモデルそっくりだとわかり、本家があったのか、とギブソンの存在をそこで認識したわけです。
すっかりギブソンの虜になり、バイト代全部をギター購入に回す日々。気がつけば、ギブソンの研究家、などという人がいたりするようになりました。
アコースティック・ギターが好きな人にとって、海外の老舗一流メーカー、とりわけマーティンやギブソンは憧れの存在。しかも、この2社の存在は大変面白い。
マーティンのオーソドックスなルックスとは対象的な、派手で華やかな雰囲気のギブソン。
そのギブソンの中でも、ルックスの代表格がGibson Doveです。1960年発売のハミングバード(ピックガードにハチドリが付いている、福山雅治氏がさくら坂のpvで弾いている)の上位機種として2年後の1962年に発売されたスクエア・ショルダーモデル。ピックガードの羽根の形状と、中央に鳩が描かれた印象的です。
サイドとバックがメイプル単板と硬い材質で構成されています。主要構成材がこの硬いメイプル材であることと、初期モデルに搭載されていたチューン・オー・マティック(TOM)ブリッジによるガチっとしたアタック感のある音色からロックミュージシャンやストローク系の奏法を好むミュージシャンに愛用されてきたギターです。
製造時期によって、ピックガードの鳩のシェイプやブリッジの形状、チューン・オー・マティックの有無、ペグ、ヘッドのクラウンインレイなどに微妙な違いがありますが、何といっても初期モデルのピックガードは、ギブソンのモディ・ムーアという女性のハンドメイドによる手の込んだものが装着されており、近年のモデルとは、迫力も重厚感も全く違います。
アメリカのカントリー&ウエスタン系の歌手に好まれる傾向がありますが、日本では谷村新司氏がアリス時代から初期モデルの愛用者として知られています。
現在では、60年代のモデルはヴィンテージとして扱われていますが、複雑なつくりのピックガードが崩壊したり、チューン・オー・マティックが錆びて機能しないものがあったり、激しいストローク奏法が似合うモデルだけに傷の目立つモデルも多いのです。
また、かなり生産管理の甘いメーカーだったらしく、いや、おおらかなメーカーなのかも知れませんが、かなり仕様にばらつきがあります。
若い頃は買えなかったが1本欲しい、という方は専門的にギブソンのヴィンテージを扱う、しっかりしたショップで購入した方が良いという典型的なギターです。
1962年には、わずか20数本しか制作されておらず、市場にもまず出ません。翌63年モデルもかなり希少で、状態の良いものが出るとかなりの価格が付いていることが多いが、オリジナル完品状態のものが出れば、奇跡です。
1962年は昭和37年。アメリカがベトナム戦争において、苦戦を強いられたベトコン対策の一環として、特殊部隊Navy SEALsを結成した年であり、大阪の朝日放送がコメディー『てなもんや三度笠』を制作、放送を始めた年。藤田まことさんの決め台詞が懐かしいですね。
この頃のヒット曲は、
ザ・ピーナッツ「ふりむかないで」
橋幸夫&吉永小百合「いつでも夢を」
植木等「ハイそれまでョ」
石原裕次郎「赤いハンカチ」
そして、アメリカのセックスシンボルといわれたマリリン・モンローが変死した年でもあります。
世界各地が戦争の真っただ中であった一方で、素晴らしい楽器も誕生していたのです。ボブ・ディランのレコードデビューもこの年。
いつのまにか夢を失った感のある昨今、「いつでも夢を」がラジオから流れたりすると、なぜか切ない気持になります。
あのころから、外国製の高額なアコースティックギターを弾いていた日本人(一般人)が何人いたかは不明ですが、もし、何かの偶然でこうした希少モデルを今でも持ち続けられていれば、とんでもないヴィンテージになっているでしょう。
比較的新しいモデルやカスタムショップ製のDoveは、かなり出回っていますので、有名ショップで鳩を目印に探してみると見つかります。
60年代初期のDOVEを探して欲しい、とか売りにでているものを一緒に見てほしい、というご依頼をよく頂きますが、素晴らしい、というものはほとんど出ません。逆に、手放したいというご依頼のものは新しいものが多いのです。ヴィンテージとして成立するのは、70年代初期がぎりぎりです。
