昨年の11月に大塚国際美術館行く計画して
航空機の予約や宿泊の予約を早期にしていた
徳島の旅に26年2月26日(木)~27日(金)と
一泊2日の強行スケジュールで行って来ました。
26日朝7時発のJALで出発、戻ったのは
27日夜9時45分羽田着。
徳島飛行場(徳島阿波おどり空港)に到着後、
空港近くで、レンタカーに乗り、すぐに
大塚国際美術館に向かいました。
一般道を走り、美術館まで車で40分程度。
美術館の駐車場は、美術館から離れていて
美術館を通り過ぎ、慎吾のある交差点を左折し
海沿いを少し走った右側にありました。
駐車場から無料の送迎バスが出ていて、これに乗り
美術館の入り口に到着。事前にネットで購入していた
入場券のQRコードをスマホで表示して入場しました。
大塚国際美術館 | 徳島県観光情報サイト阿波ナビ
中の広く展示は、ものすごく多いので写真で撮った
一部と展示場内部の雰囲気を紹介します。
写真で撮った中のごく一部ですが、美術館の中をじっくり観て周るのには
1日以上かかる程で、美術館内に食事をとれる場所も用意されています。
我々は、その日泊まる予定の淡路島まで行く予定があったので、退館。
徳島のうどんも讃岐と違って美味しいので、検索すると空港の方に
戻ったところに釜揚うどん 一匠という店があるのを発見。行くことに・・
釜揚げうどんを注文すると大きな徳利 だし入れとうどん、小鉢、
摺り器の上に生の生姜が運ばれてきました。小鉢にだしを入れ、
テーブルの上にあったネギと天かすと摺った生姜を入れて
美味しく食べました。

食後、もう一つの観光施設 鳴門 渦 の 道 に行きました。
ここは、淡路島と徳島県鳴門に架かっている自動車専用の
鳴門大橋の下に遊歩道を作り、鳴門海峡の渦潮が見れる
観光施設です。ルート的には大塚美術館方面に戻り
更に通過した先にあります。行った時間は、ちょうど
その日の一番の渦潮が見れる時間だったのですが、
この日は、大潮で無く小潮だったので、
さほどの渦潮が見れませんでした。
それでも観光船は、その近くに近づいていました。


その後、淡路島に渡り検索でスィーツ店を見つけて、購入。コンビニで飲み物を買い
そこの駐車場で食べてからホテルに向かいました。
ホテルの部屋からは、鳴門海峡と渡ってきた鳴門大橋(自動車道の橋)が見えました。
ホテルに到着時、シーズンのピークは、過ぎているが、淡路島南部の水仙郷の
開花状況をスタッフの方に問い合わせたら調べてくれ、灘黒岩水仙郷は、
殆ど終わっているが、まだちらほら見れるとの事でした。
翌朝、とりあえず灘黒岩水仙郷に車で向かいました。行くと駐車場から傾斜沿いに
水仙が見えていますが、かなり花は萎れていて部分的に群生して咲いている場所が
ありました。見学用に傾斜を登れるように階段が設置されていてその登り口に
老人の管理する人と思われる方がいて、話を聞きました。
毎年、傾斜の草を命綱をつけ数人で除草したり、球根を植えたり管理していて
人が減り大変との事でした。
駐車場も整備され、シーズン中には駐車場代か入場料がいるではないかと
調べたら、入場料は大人600円、小・中学生300円と書いてありました。
水仙郷の後は、前日、渦の道の入り口で、貰った 徳島県のパンフレット地図に
阿波の土柱というのが載っていて、ここに行くことにしました。
鳴門大橋に一番近い淡路南ICへ向かいつつ途中、道の駅 福良で、淡路島の玉ねぎを買い
淡路南ICから神戸鳴門淡路道から高松道の鳴門ジャンクション経由、徳島道の脇町ICまで
68.1Km 徳島道は、追い越しエリアを除き対面交通。2時間弱で阿波の土柱に到着。
車1台がやっとの売店前の坂道を上り、乗用車3台ほどが、止めれる駐車場に到着しました。

駐車場に 看板があったのと そこから歩いて1分ほどの所に展望できる
場所もあり、そこにも説明書きの看板がありました。文字が小さく
読めないと思いますおで転記します。
━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━
天下の奇勝•阿波の土柱
Rare scenic beauty "sand pillars of Awa" of the world
自然が創った芸術品、130万年前の地層をのぞかせた土の柱の
群立で.扇状台地が風雨により浸食されてできたものであり.その内
波濤嶽は、昭和9年5月1日に国の天然記念物に指定されています。
アメリカのロッキー、イタリアのチロルに見られる土柱と並んで、
「世界三大奇勝」と称されています。
━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━
この地は、約100万年卸から70万年かけて阿讃(あさん)山脈から流れ出た土砂が
何層にも堆積してできた砂礫層が、断層の活動により隆起(りゅうき)した場所。
土柱はその砂礫層が浸食してできたものである。雨水が、露出した砂礫層の斜面の
くぼみを流れて溝をつくり、雨ごとに岩石や土砂が流され溝を深めてゆく。
土柱は、硬い岩石や礫層のある抵抗力の強い部分が浸食を免(まぬがれ)れて、
土の塔やカーテン状の柱を多数形成した特異な景観であり、今もなお、
自然の影響を受けその姿を変え続けている。
正面に見える土柱は波濤ケ嶽で、1934(昭和9)年5月1日に
国の天然記念物に指定されている。
この他にも、燈籠嶽(とうろだけ)、不老嶽(ふろうだけ)、
筵嶽(むしろだけ)、橘嶽(たちばなだけ)が周辺に散在している。
━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━
土柱を見た後は、観光地図で、鳴門市ドイツ館という施設を見つけていたので
そこに行くことに戻ることになり距離はありますが、高速に乗らず一般道で
行くことにしました。わき道から出て左折して少し行くと大きな駐車場が・・
ここも土柱の駐車場でバスも止めれる広さでした。
徳島で、日本で初めてベートーベンの第九交響曲が初演された板東(バンドウ)とい地。
以前、特集のテレビドラマで見て行けたら行ってみたいと思っていた地でした。
第一次世界大戦のとき中国青島で捕虜になったドイツ兵が、日本各地の
俘虜収容所に多数収容されました。
当時の日本では、捕虜に対する暴行や非人道的な扱いは禁じられていました。
特にドイツとは敵対位置にありながらも友好関係が続いており、一部を除いて
各地の収容所でもこれが守られていたのですが、板東俘虜収容所の松江所長の
出身地である会津(福島県西部)は、幕末~明治にかけての一連の
戦が終わった後も敗戦国として過酷な生活を強いられました。
会津はもともと道徳心の強い土地柄ではありますが、弱者としての
痛みを知るからこそ板東俘虜収容所は別格でした。
詳細:年末に「第九」が演奏される理由は?日本初演やドイツ兵との絆などの歴史と歌詞の訳も紹介 | 藝大アートプラザ
このあと徳島空港に向いました。













