最近、人の顔を見ることが怖くなってきました。もっとこの人と目を見て話したいのに、私は上手くそれが出来なくなってしまった。
幼い頃から割と性善説というやつを信じてきた私は、大体の人は良い人だと思っていたし、そよ風が吹くだけでも愛で満たされていたように感じます。
けれど、今は変わりました。大人は、愛や優しさと引き換えに何を得るのでしょう。無関心?お金?名誉?プライド?
多くの道行く人たちがまるで敵のように見えてしまうのは、自分の心が疲れているからなのかもしれません。ただ道を歩いてても、唾を吐く人、わざと人にぶつかる人、ぶつかっても謝らない人、路上喫煙している人…流行りの多様性にしたって異文化すぎてむしろ面白すぎる境地です。
これを笑い飛ばせたら楽ですが、私は如何せん気になってしまう性分でどうにかこいつら異文化人をスルーできる方法はないのかと探しています。
しかし、何よりも許せないのは、こんな事に心をすり減らしてしまう自分なのです。気にしなくていい、そういうもんだ、こういう奴らの方がおかしいと思っても、どこか煮えきれない。あんなに私は人を大事にしたかったのに、今はすれ違う人にさえ些細な苛立ちを起こしている。こんなに人を嫌いになんてなりたくなかった、こんなに信じられなくなんてなりたくなかった。
そよ風さえも愛しんでいた私は、今やただただ灰色の空の下で常に疑心の目をして一生懸命生きていま
す。大人になることでこんなにも自分の心を犠牲にするなら、大人にはなりたくなかったと思います。でも、きっとこれはまだ自分が未熟だからだと分かっているので、早く真っ黒に濁り切れるように、LET'S 労働😇
とはいえ、常識やルールを守らないようなああいう大人の仲間入りにはやっぱりなりたくないので、軽蔑する自分の心も受け止めながら、頑張ろう。