けださなければ、童めらを勘当すると脅しつけた。
そのころ泰文は東山の八坂の中腹に三昧堂のようなものを建てた。有名な無信心者がどういう気で持仏堂など建てたのか。招かれたある男が可笑がって笑うと、泰文は堂の縁端まで連れて行って眼の下の墓地を指さし、
「あれはうちの墓地だが、外人 出会い童めらが一人残らずあそこへ入ったら、おれはここに坐ってゆっくり見物してやるのだ。そのための堂よ」
と笑いもせずにいった。
その男は泰文は隠居して、自分の子供らの墓を縁から見おろしてやるという奇怪な欲望からそういう堂を建てたということを了解して呆気にとられたが、あわれをとどめたのは仕送りを断たれた三人の息子で、長男の文雄だけは方略の論文を書いて試験に及第し、河内の国府の