アメリカ政府の大失策・クラーク基地とスービック基地の撤退 |  Egi Shun,s BLOG~歴史教科書から探る史実探訪

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山川出版社刊 『詳説 世界史研究』『詳説 日本史研究』 の記述から、気になる史実を探訪しています。右サイドバーの目次からどうぞ

フィリピンにあったアメリカ空軍とアメリカ海軍の基地である。

クラーク空軍基地

フィリピン共和国ルソン島のパンパンガ州アンヘレスの北西部、首都マニラの北西約60kmの地点にあったアメリカ空軍の基地。1903年から1991年まで使用された。

第二次世界大戦中、1942年に日本軍が占領し運用した。これらはフィリピン基地航空隊の中心的存在であった。1944年10月には最初の神風特別攻撃隊がマバラカット飛行場より発進している。1945年1月、アメリカ軍がルソン島に上陸し、激しい戦いの後、米軍が再占領した。

1975年のベトナム戦争時は重要な出撃地の1つであった。アメリカ国外では最大の米軍基地で、F-4EやF-4Gなどが配備されていた。

基地の使用期限延長に関する交渉中の1991年4月、20kmほどしか離れていないピナトゥボ山が活動し始めた。クラーク空軍基地はピナトゥボ山から過去の大噴火で、大きな被害を受けることが予想された。

噴火のピークは6月15日で、火砕流が基地の近くにあった演習場を埋め尽くし、基地自体の敷地にも侵入した。航空機の格納庫を含む多くの建物が、屋根に降り積もった火山灰の重さで倒壊した。アメリカ軍はクラーク空軍基地の放棄を決定し、スービック海軍基地と共に11月26日に返還された。

wikipedia.org/wiki/クラーク空軍基地

スービック海軍基地

フィリピンのサンバレス州オロンガポにあったアジア最大のアメリカ海軍の基地。1884年にスペインがスービックを海軍基地として利用しはじめ、1898年の米西戦争でアメリカに管理権が移ったあと、1991年まで、その軍事施設は使用された。

基地は1942年、第二次世界大戦の間に日本軍に占領されたが、1945年8月に大戦が終結すると共にアメリカ軍により取り戻された。1975年のベトナム戦争時は重要な出撃地の1つであった。

基地の使用期限延長に関する交渉中の1991年4月にピナトゥボ山が活動し始め、6月に大噴火した。スービック海軍基地はピナトゥボ山の近くにあったクラーク空軍基地の兵員の大半とその家族の避難場所になったが、屋根に降り積もった火山灰の重さで建物が到壊して死者が出るなどの被害を受けた。

アメリカ軍はクラーク空軍基地の放棄を決定する一方、スービック海軍基地については10年間の使用期限延長を望んだがフィリピン上院は拒絶し、両基地は11月26日に返還された。

wikipedia.org/wiki/スービック海軍基地

おおまかな場所はこのへん↓ 赤○つけといた。

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クラーク基地とスービック基地の場所
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この両基地さ、今でもアメリカの基地だったらすごいことになってただろうね。ASEANもAPECもFTAAPもTPPも沖縄の基地問題も、そうとう局面が変わっていただろう。中華なんて大ビビリだろうよ。

フィリピンは元スペインの植民地で宗教はカソリックである。米西戦争(1898年)後アメリカの植民地になって公用語が米語とタガログ語(現地語)になった。




撤退してなきゃアメリカはこんなことをしなくてもよかった。↓

アメリカがオーストラリアに軍事基地を建設
オーストラリアの人々が反対する中、アメリカがこの国に常設基地を設置します。ファールス通信によりますと、アメリカのオバマ大統領とオーストラリアのギラード首相の合意により、オーストラリア北部のダーウィンにアメリカ軍の常設基地が建設されます。(後略)

ソース→ http://japanese.irib.ir/index.php?option
NHKニュースにもあったけど、あえてイランのニュースを採用してみました。


クラーク空軍基地・スービック海軍基地撤退当時のアメリカ首脳は誰だったっけ?

ジョージ・H・W・ブッシュ
(George Herbert Walker Bush)大統領
ジェイムズ・アディソン・ベイカー
(James Addison Baker)国務長官


マルタ島会談でゴルバチョフと冷戦終結会見した大統領じゃん(共和党)
うっかりアラスカをアメリカに売ってしまったロシアくらいの大失策だね。

この人、アメリカ海軍(NAVY)の航空母艦の名前になれそうなのかな?
ちょっと調べてみよう。wikipedia.org/wiki/アメリカ海軍航空母艦一覧

ありゃ、もうなってました。大西洋艦隊第2空母打撃群所属 就役2009年1月10日~ 

ジョージ・H・W・ブッシュ (空母) $Egihson,s BLOG

参考までに、長いアメリカ海軍の歴史の中では、たとえ海軍有力者・功労者であっても本人存命中は艦名として命名がなされることはほとんど無かったが、近年はその数も増えてきている・・・だそうである。

カール・ヴィンソン (USS Carl Vinson, CVN-70)
ロナルド・レーガン (USS Ronald Reagan, CVN-76)
ジョージ・H・W・ブッシュ (USS George H. W. Bush, CVN-77)
アーレイ・バーク (USS Arleigh Burke, DDG-51)
ニッツェ (USS Nitze, DDG-94)
ジミー・カーター (USS Jimmy Carter, SSN-23)
ハイマン・G・リッコーヴァー (USS Hyman G. Rickover, SSN-709)
ボブ・ホープ (USNS Bob Hope, T-AKR-300)


てことは、フィリピン基地からの撤退はアメリカ本国ではそれほど叩かれていないってことなのかな?アメリカのことだし軍事機密だろうし、よく分からんな。冷戦終結の時の大統領だから割り引きなのかもしれん。第二次世界大戦中海軍パイロットだったし・・。

あっついでに言っとくと、アメリカの国務長官と言うのは日本で言うと外務大臣だから。アメリカにとっての国務とは世界戦略なんだよ。それとこのブッシュはオヤジのほうね。オバマの前の人はジュニア。

そういえば、故・中川昭一政調会長(当時)が、「日本も核武装の論議を始めたらどうか」とテレビで言っただけで、翌々日にはライス国務長官(当時)が予定をキャンセルして日本にすっ飛んできた。(2006.10)

日本の核武装は脅威らしい。日本の技術力なら実際に10年から15年くらいで実用化しそうだよなあ。宇宙空間へ飛ばすロケット技術と54基もの商用原子炉を運用する技術を持ってるんですもん。

とにもかくにも東南アジア・環太平洋を対象とした、武器を用いない経済戦争・外交戦争はもうとっくに始まっており、関係各国が血眼になって駆け引きを行っている。現在の日本の首相と外務大臣の戦闘力は非常に脆弱である。早く民主党政権をぶっ潰して強力な内閣の組閣を希望するよ。