小学生息子のトラブル対応で感じたこと | 自分大好きな人の頭の中

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私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

小学生の息子が、友達(別に仲良くない)に

 

意地悪をされて道具を壊されたと学校から連絡があった。

 

今までも嫌がらせはちょくちょくされていたけれど、

 

息子は「仲がいいわけでもないし」と

 

それこそ相手にしていなかったようで、

 

その結果、構って行動がエスカレートした様子。

 

 

 

相手の保護者から連絡はきたものの、

 

文面にお詫びの言葉は見当たらず、

 

ただ、弁償するので値段を知りたいとだけ書かれていて、

 

私は驚くやら呆れるやら…。

 

とりあえず、対応を夫に相談してみた。

 

夫は、「みんながみんな基礎的な

 

文章作成能力を持っている人ばかりじゃない。

 

弁償の話をした時点で、多分相手は

 

謝罪した気になってるよ」と言っていた。

 

こちらが想像力のある相手(主に夫)じゃなかったら、

 

「金さえ出せばいいと思ってんのかコラー!」って

 

火に油を注ぐ結果になっていただろうに…。

 

 

 

今後もっと広い意味での

 

多様性への理解も必要になるんだろうな。

 

「この程度までは最低限できてほしい」という

 

言外の基準みたいなものも、

 

今までのように機能しなくなると思う。

 

自分の中にあった「最低限このくらいは…」という

 

無駄な期待に気付けたことが、

 

今回のトラブルで唯一の収穫かもしれない。

 

 

 

特に親しいわけでもない相手にやられたこととはいえ、

 

わざと物を壊すというのは

 

明確な悪意でしかないから、

 

息子もそれなりにショックを受けていたと思う。

 

そのフォローこそ、私たち親の出番だよね。

 

 

 

私も振り返ってみると、

 

人生の中で小中学生時代が一番、

 

周囲の人の多様性が富んでいた環境だった。

 

小中は受験しなかったから。

 

高校からはみんな受験でのふるいわけもあるし、

 

その後の進路によっても

 

自分と何かしら似た人に囲まれた環境で

 

生きていくことになる。

 

夫婦もなんだかんだ似ているところもあるからこそ、

 

夫婦としてやっていけるわけだし。

 

息子を通して、今私たち親も、

 

あの小中学校独特ののごった煮な環境を

 

追体験させてもらってるんだなと感じる出来事だった。

 

 

 

ちなみに、ごった煮環境で掲げられがちな

 

「みんなと仲良く」みたいな標語は、

 

昔から大嫌い。

 

あれは管理する大人が楽だから

 

言ってるだけのことだよね。

 

私を大切にしてくれる人しか

 

私は大切にしないよ。

 

「やり方が不器用なだけで仲良くしたいんだ」

 

「だからおおめに見て許してほしい」と

 

言ってくる相手が仮にいたとしても、

 

その不器用なやり方を許せるかどうかは

 

私が決める領域の話。

 

許せるかどうかは

 

自分で決めればいいことだよ。

 

こちらばかりが大人な対応をする必要もないし、

 

許し続ける義理もない。

 

メリットが何一つないどころか、

 

精神エネルギーまで削られる一方だからね。

 

できるだけ相手を無駄に刺激せず、

 

速やかに離れる一択。

 

これは大人の世界でも一緒かも。