長男の七五三で涙が止まらなくて、和装には力があると思った話 | 自分大好きな人の頭の中

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私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

成人式の話題を見かけると

 

いつも思い出すのは

 

自分の和装ではなく子どもの和装の話。

 

 

 

今小学生の長男が

 

5歳の七五三の前撮りで

 

夫も着たという着物を着せた。

 

私は和装が好きで着物を着た時期もあったけど、

 

もう着付けは忘れてできなくなっていたから、

 

こういった大事なシーンではプロにお願いした。

 

 

 

サイズ感を見るために

 

簡単に羽織っただけなのに、

 

息子の和装を見た瞬間に涙が出てきて

 

自分でも驚いた。

 

「こんなに大きくなって…立派になって…」と

 

きっと夫の両親も

 

夫にこの着物を着せたときに思ったに違いない。

 

 

 

ちなみに、

 

私はその後の長男の

 

卒入園イベントでも泣くことは無く、

 

今でもあの七五三のときの涙のあふれ方が

 

私の中で一番の記録だ。

 

殿堂入りでもいいかもしれない。

 

 

 

 

私はことごとく

 

自分のライフイベントでは泣いてこなかった。

 

卒入学はもちろん、結婚式でも出産でも

 

面白いくらいに泣かなかった。

 

別に感動していないわけでもないし、

 

涙を我慢しているわけでもなく、

 

ただ、泣かないタイプ。

 

むしろ、

 

日常生活の中で泣くことが多くて、

 

十分涙もろいたちではあるのに、

 

イベントとなるとどこか冷める部分があるのか

 

泣くことは無かったんだよね。

 

 

 

その私がここまで泣けるとは

 

和装には不思議な力があるね。

 

日本人の血?的なものなのか、

 

体の奥にある私まで連綿と続いてきた

 

遺伝子に乗っている記憶の形か何かなのか。

 

七五三の本来の意味を思うと

 

ここまで成長できたことが

 

奇跡みたいな時代も確かにあって、

 

今でもありがたい大きな力に

 

生かされているのは、やっぱり変わらない。

 

だから、出産後のお宮参りと同じように

 

七五三でもお参りに行くんだよね。

 

 

 

私の七五三でも、成人式でも、結婚式でも、

 

きっと泣いていたのは私の親の方だ。

 

長男の七五三にも、

 

私は袖を切って訪問着にした自分の振袖を着たから、

 

母は和装の我が子(私)と孫(長男)の写真を

 

笑顔で何度も眺めては

 

「いい写真だね」と喜んでくれた。

 

 

 

和装のタイミングは、

 

現代では人生の節目の晴れの日だから、

 

特にその力を強く感じるんだね。

 

私も未来で、

 

子どもの晴れの日に

 

和装の力もまざまざと何度も思い知らされながら

 

あふれる涙の記録を更新し続けていけたら、

 

そんなに幸せなことは無い。

 

赤ちゃんの存在だけで

 

目をうるめてくれた祖父祖母の年代になったら、

 

私の目にも同じように

 

新しい命は輝くほどに尊く見えるんだろうな。

 

 

 

いよいよ今年は、次男の七五三。

 

私はまた、長男のときと同じように

 

振袖を切った訪問着に袖を通す予定。

 

宝物の記憶が増えると思うと今から楽しみだし、

 

次男がここまで元気に成長できたことを

 

神様に感謝しながら、

 

この愛おしい日々を過ごしたいと思うよ。