2000回大好き | 自分大好きな人の頭の中

自分大好きな人の頭の中

私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

年少さんの次男が

 

そっと私のそばに来て、

 

「おかあさんのことね、

 

にせんかい、大好きなの」

 

と言ってくれた。

 

「にせんかい、会いたかったの」とも。

 

小学生の長男に大きい数字を教えてもらったらしい。

 

 

 

あるときは、宝物のどんぐりや折り紙を

 

私の手のひらに載せてくれた。

 

「おかあさんにあげるね」って

 

くりくりの笑顔を見せてくれた。

 

 

 

自分の知っているわずかな言葉を

 

全部全部使って

 

愛情を伝えてくれたり、

 

自分の持っているわずかな宝物から

 

私へのギフトを用意してくれた。

 

 

 

自分にできうるすべてで、

 

相手を笑顔にしようとすること。

 

愛情を伝えるって、

 

こういうことなんだと思った。

 

子どもはすごいね。

 

 

 

私はできているかな?

 

私から子どもにあげられるものはそうないし、

 

おもちゃや干渉は、

 

あげすぎればあげすぎるで

 

また別の問題になるとは思うけど、

 

ひとつだけ、決めていることがある。

 

愛情表現の

 

出し惜しみだけはしない。

 

 

 

生まれる前の細胞だったときから大好きだよ、

 

お母さんの宝物だよ。

 

あなたが何をしても何をしなくても大好きだよ。

 

毎日そう言ってハグして寝る。

 

叱ったあとも、必ずハグして仲直り?する。

 

 

 

長男も次男も、

 

きっと私に甘えられるのは長い時間じゃない。

 

甘えられるときには、

 

甘えておいて欲しい。

 

相手は他でもない自分のお母さんだしね。

 

だって、大人になったら

 

なかなか甘えられない。

 

 

 

一方で、

 

子どもに甘える親には

 

私は絶対になりたくない。

 

親子逆転が起きると、

 

それはそれは大きな心の問題に発展する。

 

子どもには将来にわたって

 

つらい思いをさせることになる。

 

子どもは親のことが

 

「にせんかい大好き」なんだから、

 

簡単に搾取されてしまうんだ。

 

愛されない、認められないのは

 

自分が良い子じゃないからだって思ってしまう。

 

大好きな相手が悪いなんて思えないから。

 

大好きな相手に愛情の条件を示されたら、

 

簡単に従ってしまう。

 

そもそも、従わざるを得ないよね、

 

まだ自分の力で生きられないんだから。

 

 

 

私は自分が大好きだから、

 

自分も苦しみたくないし、

 

大好きな人も苦しめたくない。

 

私を大好きな子どもや夫が、

 

愛情不安を理由に

 

私の希望を叶えるようなことが

 

あってはならない。

 

私は私自身を

 

自分で幸せにできるから、

 

安心して自分の幸せのために

 

邁進して欲しい。

 

 

 

もちろん、夫婦はパートナーだから、

 

支え合ったり助け合ったりもするけれど、

 

どちらかだけがしんどい思いをするのは

 

絶対おかしいよね。

 

たとえ小さな違和感でも、

 

夫婦の話し合いのテーブルに載せ続けたいし、

 

その話し合いの席からは

 

絶対に立たないと決めている。

 

向き合い続けること、

 

理解したいという意志を示し続けることも、

 

私が考える愛情のかたちだから。

 

 

 

大好きな相手には、

 

「にせんかい大好き」を

 

伝え続けたいし、

 

「にせんかい大好き」を

 

しっかり受け止めていきたい。

 

気持ちが届くって、

 

すごくすごく幸せなことだ。