夫も子どもも自分自身のことも褒めまくる毎日 | 自分大好きな人の頭の中

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私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

私は褒めるのが得意だ。

 

自分のことも、他人のことも、

 

何かの出来事やそこにある物まで

 

とにかく毎日褒めまくる。

 

それで感謝しまくる。

 

ほんのちょっとしたことでもそう。

 

例えばふと手元を見て、

 

「スマホ作ってくれた人ってほんとすごい!

 

おかげでこんなことができたもん、

 

無かったらできなかったし、すごいなぁ。

 

そんなすごいものを持つ力のある私、

 

操作できる私もすごい…。」

 

(自分褒めも忘れない)こんな感じ。

 

 

 

良い面しか見ないようにしているわけではないよ。

 

ものごとのネガティブな面について考えることが、

 

自分の未来にとってポジティブなことなら

 

しっかり向き合えるように、

 

自分の中の好き嫌いセンサー・違和感センサーを

 

磨いておくから。

 

 

 

研修とかで

 

自分のことを褒めてくださいと言うと、

 

だいたいみんな「がんばったこと」を

 

褒めるよね。

 

それで、特に頑張ってないと自分で思っていると、

 

褒めるところが無いみたいに言う。

 

私はそれがとっても不思議。

 

「生きててえらい」レベルでもいいのに。

 

存在していることそのものが

 

すでに素敵なことなのに。

 

頑張ってるのは確かにえらいかもしれないけど、

 

頑張ってなくたって、別にいいのに。

 

それどころか

 

頑張りたいことを頑張ってるなら素敵だけど、

 

頑張りたくないことまで頑張りすぎていたら、

 

自分の心にとっては

 

むしろあまりよくないんじゃないか?って

 

聞いてて心配になるくらい。

 

自分のために『頑張らない』ことを

 

やりぬくのも大変だというのも知っているから、

 

無理して頑張らなくてえらいとまで思う。

 

 

 

私はこどもに、布団の上でいつも

 

「お父さんとお母さんの子どもに

 

生まれてきてくれてありがとう

 

どんな○○(名前)も

 

ずっと大好きだよー」ってハグする。

 

息子たちは笑いながら、

 

「どんな〇〇でも好きなら、寝坊しても好き?」

 

「ご飯残しても好き?」

 

「怒られることしちゃっても好き?」って

 

交互に口々に、

 

色々と思いついたことを聞いてくる。

 

そのたびに、

 

「寝坊しても、ご飯残しても、

 

怒られることしちゃっても、大好きだよー」って答える。

 

「だって、生まれる前の細胞だったときから、

 

かわいくて大好きだったんだから、

 

何をしてもしなくても、大好きだよ。

 

おじいちゃんになってもおおおおじいちゃんになっても

 

ずっとずっと大好きでかわいいよ」って。

 

 

 

これは夫にも同じこと言っている。

 

大好きだから、夫がやることには

 

「かっこいい」と「かわいい」の

 

二種類の感想しかない。

 

ここに関しては語彙力ゼロでいいや。

 

すごいなって思うたびに「かっこいい!」って言うし、

 

そんなすごい夫でもうっかりしちゃうことがあると

 

「かわいい」って思う。

 

怒れることあんまりないな。

 

私のすることも、

 

怒らないでいっぱい許してもらっているし、

 

それにも感謝して器の大きさを褒め称える日々。

 

だって事実だから。

 

 

 

自分自身にとっても、

 

自分はそういう存在で、

 

何があっても自分の味方でいる。