自分大好きな人の頭の中

自分大好きな人の頭の中

私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

自己肯定感って、条件付きじゃなくて、

 

「どんな自分でもここにいてOK!」って思えることだって

 

よく言うよね。

 

そもそも、ダメな自分や恥ずかしい自分に

 

自分で気付けているだけで

 

すでにすごいんじゃないかと思う。

 

見たくない自分のことは、

 

無意識でも見ないようにしてしまうから、

 

そういう自分の一面に気付くことすら

 

本来は難しいはずだから。

 

 

 

誰にでも話したくないことや、思い出したくないこと、

 

なかったことにしたい恥ずかしいことはあるよね。

 

私は、そういう『ダメな自分』に関する事柄も

 

二種類あると思っていて。

 

ひとつは、出来事や思い出。

 

いわゆる黒歴史的なもののこと。

 

 

 

もうひとつは、もっと自分の内面のこと。

 

心の中で誰かを馬鹿にしていたとか、

 

誰かよりまだマシだからって

 

優越感に浸ってこっそり安心していたりとか、

 

誰かのことを羨ましくてずるいって思ってしまうとか、

 

傷ついた経験から今でもこわいものがあるとか、

 

自分の本音を言ったら嫌われるから演じてしまうとか…

 

そういう、黒いというより汚い気がする自分。

 

大切な人には絶対にバレたくないような

 

とってもかっこ悪い自分の内面のこと。

 

 

 

私は、黒歴史的な思い出や後悔ならたくさんあるけど、

 

自分を『汚い』感じるような

 

客観視?する能力があまりないから、

 

まるごとのダメな自分も肯定できているかというと

 

正直よくわからないんだよね。

 

 

劣等感問題?

 

 

他人と比べてどうこう思うことがほとんどないし、

 

他人に興味が薄いからどうでもよくて、

 

優越感・劣等感の問題はいまいちわからない。

 

もし「比べる自分」に気付けたとしても、

 

「群れで生活する人類として真っ当な感覚だわ!」と

 

思うだけで、自分を卑下したり汚いとか思わないな。

 

 

過去の傷つき?

 

傷ついたから怖いという思いは、それなりにあるかも?

 

古ーーーい記憶だと、高校生のとき、

 

最初のクラスの係決めで7回?8回?投票で落とされたとか…。

 

(めげずに次はこれ!って手を挙げ続けた自分すごいな。

 

というか、怖がっては…いないな)

 

服を買いに行ったらショップ店員に

 

「あんたが?」って笑われたりとか…。

 

(別の店に行けばいいから即解決だけど。)

 

この二つの出来事では、

 

第一印象で勝負する必要性を感じたし、

 

それは今の仕事でも役立ってるから感謝できるかな。

 

あとは、転職後なじめなかったのももろもろ辛かったし、

 

夫の親族ともめたのにはまだトラウマがあるし、

 

それなりに警戒心は強くなってしまった感はある。

 

でも、どちらのケースでも「離れる決断」をできた自分には

 

花丸あげてる。

 

 

本音を出せない?

 

 

本音を言ってはいけないと思う感覚が

 

私にあるのかどうかについては、

 

今すごく考えているところ。

 

正直、ちょっと考えただけでは心当たりが何もないから。

 

軽めのトラウマもあるし、

 

他人に嫌われるのが怖いという感覚が

 

まったくないとは言えないけど、

 

それも人類の本能を引きずってるだけ説を推してる。

 

そもそも私のこと嫌いな人のこと、

 

私は絶対好きにならないからな。

 

嫌いな人に好かれたら面倒くさいから、ちょうどいいのか。

 

 

 

 

あるとしたら夫にちゃんと言えているか?くらいかな。

 

そもそも自分の本音に気付くことだって

 

相当難易度が高いから、

 

こればかりは、まぁまぁ腰をすえて

 

取り組まないといけない課題の予感。

 

私は夫婦関係に恐れを持ち込んでいないか、

 

しっかり自分の根っこの感覚と向き合ってみよう。

 

 

 

気付けた本音に関しては、

 

いつも基本的には大切にしている。

 

だって自分大好きだし、

 

そんな自分に我慢させたくないし。

 

どんな感情にも意味があるわけだしね。

 

だから、バレないように演じるというよりは、

 

「どう伝えたら自分の要望が通りやすいか」に

 

全力を傾ける感じ。

 

だって、下手に演じたりなんかしたら、

 

OKだと思われて状況がエスカレートする。

 

そんなの絶対嫌。

 

 

 

例えば、私は今、

 

仕事でもっと評価されたいなーと思っていて。

 

評価=お給料・お金 をもっといっぱい欲しいんだよね。

 

その気持ちは、特に隠す気もない。

 

以前は「もっとあげて欲しいです!」って素直に言って

 

お給料を上げてもらったことがあるんだけど、

 

今は子どもの体調不良とかで休むこともあるから、

 

どう伝えたらお互い嬉しいか考え中なんだよね。

 

 

 

「どうしたらもっとお給料増えますか?

 

お給料=貢献度だと思うので、

 

もっとがんばりたいので教えてください」って

 

今度面談のチャンスがあったら

 

上司に言おうかなって思ってる。

 

そうしたら、私に期待されていることも、

 

私がやりたいことも共有できるからいいかなって。

 

だって、きっと上司は私に楽しく働いて欲しいと思うし、

 

私のことを応援したいと思ってくれているはず。

 

だってやる気のある人のことは、

 

みんな応援したくなるし。

 

仮に、頑張ろうとしている人の

 

足を引っ張るような人が多い環境だとしたら、

 

そこは大切な私を置いておくには

 

ふさわしい場所じゃないしね。すぐ動かなきゃ。

 

 

 

まとめ 愛と信頼の力技で切り抜ける予定

 

そういう意味で、私の世界に対する信頼(本音を言える)は、

 

今のところそれなりにある…のかな?

 

それでもまだまだ、

 

信頼が足りない部分があるかもしれないし、

 

こちらが本音を明かさないと、

 

相手の本音も知ることができないから、

 

このあたりはもっと取り組む価値はあるはず。

 

 

 

ダメな自分=ダメだと言われそうな自分 ではない。

 

自分が「このままの自分では嫌だ」と思うなら、

 

それは他でもない大切な自分の感覚だから、

 

変える価値がある。

 

他人がダメだと言ったところで、

 

その人は都合のいい相手を探しているだけだから、

 

離れるにはぴったりの機会だと思えばいいだけ。

 

 

 

どこまでも自分の感覚を信頼しまくって、

 

その自分が好きだと言ってくれる人たちを信頼しまくって、

 

自分にもその人たちにもたくさんの愛を注いで、

 

のびのび生きていける環境をつくりたいよね。