自分大好きな人の頭の中

自分大好きな人の頭の中

私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

正しいか間違っているかなんてことは

 

実はどうだっていいのかもしれない。

 

そういう問題が実は人生にはたくさんある。

 

いくら「自分が正しい!」

 

「相手は間違っている!」と

 

声を枯らして主張しても、

 

そんなことでは

 

本当に得たいものは手に入らないんだよね。

 

 

 

人間なんてものすごく感情的な生き物だから、

 

感情に訴えないと自分の主張は相手には届かないし、

 

相手の感情を動かさないと関係性は変えられない。

 

感情を生存本能として使うために搭載したという

 

人間の進化の歴史から考えたら、

 

むしろ感情の方が人間にとっての

 

抗いがたい『正しさ』なんだろう。

 

 

 

自分だって感情に突き動かされているくせに、

 

正しさで人を動かそうとするのは、

 

矛盾しているよね。

 

なんだかんだ言ったって、

 

人は嫌なことは絶対しないし、

 

やりたいことだったら、

 

やらされる前に勝手にやってるよ。

 

正しさでは人は動かない。

 

 

 

例えば、口では健康的な体重になりたいと言っているのに、

 

暴飲暴食しているんだとしたら、

 

その本音は「痩せたくない」。

 

口では新しいことに挑戦したいと言っているのに、

 

何かと理由をつけて後回しにしているんだとしたら、

 

その本音は「新しいことをやりたくない」。

 

行動と感情はどこまでも正直だ。

 

だから、感情に合っていない行動を続けることで、

 

メンタルをいためてしまうんだよね。

 

感情と行動の過剰な我慢は毒になる。

 

 

 

正しいかどうかを主張して、

 

相手が間違っているとジャッジしても、

 

行きつく先は孤独だよ。

 

「私を大切にしろ!尊重しろ!それが正しい行動だ!」と

 

必死に訴えたところで、何が残るか考えてみると、

 

正しさは人を救わないことがわかる。

 

 

 

人は正しいからその人を好きになるわけじゃない。

 

好きか嫌いかなんて、もっとずっと原始的な反応で、

 

本人だってコントロールしようがないもの。

 

理由なく好きになって、理由なく嫌いになる。

 

身体の細胞は常に入れ替わっているんだから、

 

好きになったり、嫌いになったり、変化し続けるのもの。

 

何も不思議じゃない。

 

 

 

どんなに好きでいてもらいたいと願う

 

自分にとって大好きな人がいたとしても、

 

相手の感情なんて

 

相手自身でもコントロールしようがないんだよ。

 

自分だって、その人のことずっと好きでいるかなんて

 

わからないんだよ。

 

細胞レベルで常に全部変わっちゃってるんだから、

 

仕方ないよ。

 

 

 

ただ、好きでいるにはエネルギーが必要で、

 

それは、感情や行動を我慢し続けていると

 

どんどん枯れていく。

 

私は大事な人を愛し続けるためにも、

 

自分の行動と感情を我慢しない。

 

口先ではなく、本音で何を望んでいるのか、

 

常に自分の根っこの気持ちを探し続けている。

 

私は大事な人に愛し続けてもらえることを願って、

 

相手の行動と感情を否定しない。

 

相手が自身の感情の掘り下げが苦手だとしても、

 

そのままで愛されていることを伝え続けていく。

 

 

 

それでも未来はわからない。

 

だから、今この瞬間に心が通うことが奇跡だと思うし、

 

その瞬間瞬間に幸せだって伝えることを

 

私はやめない。

 

人間関係では、

 

正しいか間違っているかなんてどうだっていい。

 

正しさは愛する人を救えない。

 

正しさはジャッジだから。

 

どんな感情も存在していい。

 

愛はジャッジしないんだよ。