私の娘は昨年、不登校になりました。
5月から9月まで、で、その後は学校へ行くことができました。

 延期になってくれたことで、春から秋になった修学旅行にも参加でき、行くまでは不安だったり、嫌だな、と言っていたのに、帰ってきたら、思ったより楽しかった!行ってよかった!と。

 娘が不登校になり、私は仕事を休ませてもらいました。行かなかった間、ずっと向き合ってました。
 
 不登校になったとき、心掛けていたことがあります。

 必ず朝、学校に間に合う時間におきること。
そして毎日行く、行かないを娘自身が決めること。
 娘には行きたい気持ちもあったので、自分で決めて言葉にしてもらいました。

 ただ、休む、と決めるまで、3時間以上かかったり、決まるまでが泣いたり、怒ったり、大変でした。
 でも必ず朝に決めさせました。前の日の気持ちは変わるから。
そして学校には申し訳なかったのですが、毎朝電話連絡をさせてもらいました。

 だいたい、すみません、まだ悩んでいるので、決まったらまた連絡します、が多かったです。

 どうするか決まったら、勉強したり、散歩したり、一緒に遅刻して学校へ行ったりしました。
 自分で決めたことで、決めた後の娘は心が安定していました。

 家族には、本人から話す以外は聞かないでほしい、口を出さないでほしい、とお願いしました。
 不登校で家族の仲がギシギシするのは嫌だったから。
 旦那には、私が娘を支えるから、旦那はいっぱいいっぱいになった時に私を支えてほしい、と伝えました。

 娘に気を使うことはしませんでした。
命の大切さ、娘が学校に行こうが行かまいが大好きなことは伝えてはいました。
 不登校のデメリットも伝え、誰かに休んでずるい!と言われても仕方ないんだよ、側から見たら母もそう思うよ、と。
 行かないなら胸張って行かなきゃいい、と。

 本人が学校に行きたいのに怖いときは、一緒に行きました。
本を持参し、母は空気です、と別室登校に付き添い、先生と勉強する横にただ黙っていました。

 勉強は行かなくても一緒にしました。
ずっと頑張って好成績をキープしていたのに、後悔してほしくなかった。
塾など行ってなかったので、学校のプリントもらい、ノートは写メしてもらったり、美術などは家で作り、提出しました。
 テストも受けました。学校に行っていない分、テスト勉強がいつもより進まず、泣いていました。泣く暇あったらまだ間に合うから、勉強しよう、と。

 学校に行かないこと以外はきちんと生活をしたかった。
不登校なんかに負けたくなかった。
不登校なんか、と言いながら、その不登校が本当につらかった。