風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

旅人、ヨガインストラクターの"風のマーサ"
です。
当ブログでは主に
旧街道、古道、峠越えなど
について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


前回記事では搦谷越えの古道を紹介しました。 

その中で廃村となった下自在坊の集落跡を

訪ねました。

今では草木が生えしきり

ひっそりとしています。


さて今回は、椋川(むくがわ)の中心地

笹ヶ谷の集落からスタートしたいと

思います。


実際に笹ヶ谷を歩いていて

思っていたよりも

小さい集落だというのが

正直な実感でした。


その集落を過ぎて

さらに谷深く、福井県境近くの小原谷(廃村)へと

向かいます。

舗装されていますが道幅は狭いです。

そうして出合小橋を渡ると(下写真)

すぐに左側に分岐するのが

小原谷への道になります(林道小原谷線)

一方、そのまま進むと林道寒風麻生線に

入るようです(こちらはルート未確認)

今回は林道 小原谷線へと進みます(下写真)

こちらは未舗装道路になります。


ほどなく分岐点では右に道が分かれますが

そのまま左に進みます(下写真)

しばらく歩くと

今度は右へ(下写真)

ここまで来ると

ダンプカーなどの踏み跡もなくなって

雰囲気として落ち着いてきます。

と同時に荒れてきます(汗)

もう小原谷に入ってきたのだろうか。

段々畑跡?を見かけます。


林道?はぬかるんでいたり、倒木で

塞がっていたりします。

写真では、歩きやすそうな場面を

載せていますが(汗)


そうして、林道に対して

左下の谷側に集落跡が見られたので

そちらに降りていきました(下写真)

小原谷の集落跡になるようだ。

あたりの様子を見ながら歩きました。





それほど詳しくは見ていませんが

風呂場?水槽?手洗い場?など

はっきりと断定出来ませんが

様々な遺構が見られました。


そうして、再び林道に合流することに

なり、その後は林道を歩きます(下写真)

そして左の谷への分岐路には入らずに

直進したようです(下写真)

(正直、あまり記憶が残っていません😓)


すでに林道ではなく

普通に山道です。

沢の右岸を歩いています(下写真)

また、ほどなく道がなくなるので

対岸(左岸)に渡ります。

その後、あくまでも

沢沿いに歩いていくと

わずかな踏み跡あり。

それを辿ります。

(かなり道探しに苦戦した)


踏み跡を辿っていくと

谷が二股に分かれるところで

右股の谷へと進みました(下写真)

倒木が多い所では

なんとか迂回したりしながらも

何とか踏み跡を辿りました。

道は右岸についています(下写真)

次に対岸(左岸)に渡って

さらに谷を詰めていきます(下写真)

そうして谷分岐で、また右股に

進みます。

すると左岸に細い踏み跡?獣道が

続いていました(下写真)

しかし、道は

完全に消えてなくなります。

見上げると峠?のような

雰囲気の稜線が見えた?と

思います(下写真)

江若国境尾根から派生する支尾根の一つで

昔の古道は、ここを乗り越して

さらに北側の(江若国境尾根上の)

峠に至ったと思われます。


いずれにしても道はなく

この小峠のような所へと

直登しました。

(上写真、小峠のような場所の様子)

昔は、谷からジグザグに

登ったのだと想像しますが

今となっては道の痕跡は一切ありません。

不思議なくらいありません。


さて、ここからは

隣の谷へと緩やかに降りていくような

わずかな踏み跡(獣道?)が

あったので、そちらへ進みました(下写真)

しかし谷の中で道跡が消えてしまいます。

いよいよ、どうしょうもなくなったので

仕方なく谷の源頭へと登りました。


昔は峠まで、ジグザグに登るような道が

あったのかもしれませんが

全く痕跡がありません。

不思議なくらいにありません。

それでも何とか

江若国境尾根上にある

小原谷越え(河内越え)の峠に

登ってきました(下写真)

まあ、道がないので大変です。

下写真は、峠を下から見た様子。

ここまで書いてなんですが、

もしかすると、峠は少し北側の可能性も

考えられます(汗)

あたりに全く道の痕跡がないので

確かめようもありません。


さて峠付近は標高約440m。

向こう側には河内川が見えてきました(下写真)

現在、河内川ダムの影響で

河川は湖のように広がり

昔とは随分と様子が

異なったことだろう。

いよいよ福井県側(若狭町河内)へと降りていきます。

もちろん、道の痕跡はありません。

それでも昔の地図のように

山腹左に巻いていくように降りていきました。

すると獣道があったので、

これ幸いと思い、辿っていきました。

登山しやすくするために

つけた道跡のような気もしますが

幾分か歩きやすくなるので

あるだけありがたい。


そのような道跡も、いよいよなくなります。

さてさてと、様子を見ながら

高度を下げていくことにしました。

すると、下方に山腹を巻く道?が見えたので

そこに降りてきました。

今度は、少し広い道で

古道?あるいは作業道?だろうか(下写真)

とはいうものの、この道跡?は

ごく一部区間しかなかったので

単なる自然地形の可能性も 

十分にあります。


さてしばらく水平に進み

その後、谷を一気に降りていきました(下写真)

(実際には道はなく、右往左往ふらついていますが)


道は不明ですが、谷を降りていきました。

すると河内川に通じる谷に合流しました。

合流地点には石積みが見られました(下写真)

そうして合流した谷を下っていくと

舗装道路に辿りつきました(下写真)


さて河内谷はダムの影響によって

本来の河内川の形状はなく、その周辺の昔の道も

ダム湖に沈んでいます。

河内川を上流へと進んでいくと

河内集落跡です。

(現在は、より下流側に新しく移転しています)


また河内川を下流に進むと

若狭街道の宿場町、熊川に至ります。

今回は舗装道路を辿り熊川へ向かいます。


それでも出来るだけ

旧道を歩きたいと思います。

河内川ダムを過ぎてからは

谷沿いの旧道に合流出来ます。

そうして、その道を下っていくと(下写真)

熊川に到着しました。

下写真は熊川宿の様子になります。

小原谷越え(河内越え)の道ですが

全く古道の痕跡を見つけることは出来ません

でした。

また炭窯跡なども見られなかったです。


あとは、ゆっくりとバスの時間を

待つことにします。

(2023年5月)