そして前者は後者の内に於て初めて一応の独立を保つことも出来る。自然科学の数学化は、自然科学の弁証法的方法に於ける歴史的発展の内に於てこそ初めて成り立つことが出来る(相対性理論に見出される一種の相対観は弁証法的思惟の歴史的産物に外ならない)。恰も吾々の一切の具体的な思惟が全体として弁証法的であるにも拘らず、任意の部分々々は常に形式論理的に見えるように。であるから方法はまず第一に、根柢的には、科学の論理構造としてではなく、却って科学の歴史的発展の動力として理解され得、又されねばならない。
方法としての弁証法は――そしてこの方法は論理的なるものではなくて寧ろ歴史的なるものである筈であった――、自然科学をば歴史的変化に於てあるものと見ることを強要する、そこには固定した従って他の自然科学に歴史的に絶対に移行し得ないような自然科学は無い。一切の自然科学は相互に歴史的に浸透する。この歴史的な相互の浸透に基いて科学の分類[#「科学の分類」に傍点]も企て得られるだろう。この分類――それは方法による分類である――は併し諸科学 の絶対的な独立性を証明するためにではなく正に諸科学の相対的な非独立性を確立するためにこそ企てられる。云わばリンネ式なもしくは百科辞典的な分類では之はない(もし方法を科学の論理構造としてのみ理解すれば、そのような方法による分類がこのような種類の分類にならないことは保証の限りではあるまい)。――諸自然科学の在り得べき真に有機的な分類は、自然弁証法の第三形態の一つの変容に外ならないのである。
