本当の自分が分からない---。
私自身もその悩みを30数年間持ち続けて来ました。
今の自分が本当の自分である気もするし、違う気もする。
自分の意思で決めている気もするけど、誰かに操られている気もする。
人に言われた事をやるのは嫌だけど、人に言われた事をやってるとどこか安心する自分がいる。
そんな二律背反な思いに挟まれて、私はずっと自分自身に中途半端な気持ちを抱えてきたように思います。
しかし、最近になってなぜそんな「本当の自分」信仰が生まれるのか分かってきました。
それは、
自分の感覚にすら「正解」を求めているから。
本当はこう思わなければならない。
こう感じなくてはいけないのではないだろうか。
こういう考えは正しくないのではないだろうか…。
私達は幼い頃からの習慣で、ついつい何事にも正解を求めるようになってしまいました。
そしていつしか「自分」に対しても正解を求めるようになってしまったのです。
こう考えなければならない。
こう考えるのが正解だ。
でもよくよく考えると、本当はそんなのないじゃないですか。
こう感じなければならない、こう考えなければならないなんてことは無いんです。
正しい「感情」、正しい「欲求」なんて本当は無いのだと私は思います。
と、こんな風に書くと「じゃあ人を殺すことはどうなんだ!」という極端な例を出す批判者が必ず出て来ますよね。
ええ、必ずと言っていいほど出て来ます。
なぜそう断言できるかというと、それは「自分自身」という批判者だからです。
湧き出る感情に正解なんて無い。
こう考えなければならない!というルールも本当は無い。
だけれども、そう考えれば考えるほど、内なる批判者がまた出て来て、その声をかき消そうとするんです。
しかし、我々はそのどちらの声を信じ、選択するのか選択権を持っています。
自分には価値がある、自分の感覚を、欲求を信じていいんだ!
という声を選択するもよし。
大勢の人が良いと言ってるんだし、きっとそっちが合ってるんだよ。
どいう声を選択するのも、本人の自由なんです。
しかし、しかしです。あえて言います。
もっともっと自分を信じていい。
もっともっと自分の感情や欲求を信じていい。
だって正解なんてないんだから。
内なる声なんかに負けず、もっともっと自由に自分を感じ、表現していいんですよp(^^)q
と、今でこそそんな事を言えるようになったものの、それが出来ないから私は30数年間も自分を信じたり、愛せなかったりするわけで。
しかし、私はほんの小さな「ある習慣」を繰り返す事で、少しずつ自分を信頼し、そして少しずつ自分の感覚や欲求を信じられるようになりました。
つまり「正解」を求める呪縛から自分を解放する事ができたのです。
そのほんの小さな習慣とは○○○習慣です。
ただしこの習慣、誰にでもできるというものではありません。
これをするためにはほんのほんの小さな勇気が必要だからです。
しかし裏を返すと、ほんのほんの小さな勇気さえ出せれば○○○習慣は必ず手に入ります。
そして少しずつ自分を信じ、自分の考えや感情、欲求に価値を感じ、信じられるようになるんです。
そうなるともう誰かが決めた正解なんて自分には必要無くなってきます。
そうなったあなたは、きっと「自分革命」と呼ぶにふさわしい大変革を体感する事でしょう。
それほどまでに「正解」の呪縛から自分を解放するのは快感なんです(^^)
さて、ではこの○○○習慣とは一体なんでしょう?
とても重要な事ですので、少し間を置く意味をこめてメルマガでお伝え致しますね♪
脳は一度自分の頭に質問を投げかけますと、答えを出すまでずっとサーチし続けます。
この脳内サーチの過程を経てから答えを知るのがとても重要なんですですねp(^^)q
メルマガでの答え配布は明日になりますので、もう少々お待ち下さい♪
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正解を求めず、自分を正解にしていきまっしょい!
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自分学という自分を深く知るメソッドを用い、
たった45分間であなたの知らないあなたを導き出す
「自分学」主席講師 黒瀧