これは日本人だからなのでしょうか。それとも先進国という括りの方が妥当なのでしょうか。
私達は何か行動を起こす際、知らず知らずのうちにある物をあまりにも求めてしまいます。
失敗したく無いから?回り道をしたく無いから?
笑われるのが怖いから?
私達はある意味、ずっとずっとこれを得ようとする事を習慣づけられて来ました。
そしてその習慣は大人になった今も続いています。
そのある物とはずばり…
正解
です。
私達は答えが用意された問題を解くことが習慣づけられ、そしてその正解を得るか得ないかで様々な感情を持たざるを得ませんでした。
素早く、効率的に正解を導き出す事が出来れば優越感を。
逆に正解を導くことが出来なければ、持たなくてもいい劣等感を持ってしまう事もしばしばです。
もうね、幼少期にそんな感情のフレ幅を味わってしまっては大変ですよ。
よっぽど意識しない限り、大人になっても行動の軸が「正解」を得るか得ないかになってしまいがちになるからです。
そして正解を得る事に縛られたまま大人になると、さらにたいへん!
社会に出ると今度はいきなり解無き問題にばーん!と直面しますよね。
でも仕事に正解なんか無いわけです。
しかし私達は無意識に正解を求めるよう習慣付いてしまっている。
するとどうなると思います?
今度はあるものを無意識に欲してしまうんです。
そのものとは
指示
これを求めるようになるんです。
仕事に正解は無い。その事には気付いた。
しかし正解を求める習性というのは無意識下での自分のプログラムなので、自覚症状としてそうそう出てくるものでは無いのです。
正解は無い。だけれども正解が欲しい。
そこで知らず知らずの内に欲してしまうんですよね。人からの指示を。
なぜならば、それは誰かが決めた「正解」らしきものだからです。
無意識に正解を求め、無意識に指示を待ってしまう自分がいる。
するとすると!どうなってしまうでしょう?
それってつまり人が決めた事をやっているという事。
もっと言うならば、それは人が決めた、人のやりたい事をやっているという事です。
むむ…、人のやりたい事をやっている???
それって自分のやりたい事をやっていないって事?
つまりそれって…
自分の人生ではなく、人の人生を歩んでいる
と言えなくもない。
だって自分のやりたい事をやらずに、人のやりたい事をやっているのだから。
正解を求める心って自覚症状が無いし、すごく根深い問題なんです。
また、仕事ならばまだ指示をもらえるじゃないですか。
正解らしきものを入手できるので、無意識下ではある意味安心を得る事が出来ます。
しかし指示を得られない状況だったらもう大問題!
例えば何かやりたい事がふと出て来たとしましょう。
例えば自分で新しい事業を起こしてみたい!と思ったとします。
今まで仕事で経験も積んできたし、やりたい事も出て来た。
今の自分なら出来るはずだ!
しかし、いざやろうとしてもなかなか進まない。
そうか、あれが足りないからだ、これが足りないからだ。
情報ばかりわーっと集めます。
そして知識量は増え、何だかできそうな気もしてくる。
でも時は過ぎ、気付けば何も変わっていない…。
そう、それはなぜか。
正解を求めるあまり、金縛りになっているからです。
いやーすごいね。断言しちゃってるね。
なぜそんな事を言えるのか。
簡単です。
この記事ってね、全部私の事だからです。わっはっは!
しかし!だからこそ正解を求める心からの脱出方法も心得ています。
いやーかなり苦労しました。
ホント根深かった、正解を求める心って。
でもね、私はある事をするようにしたお陰で、飛躍的に自由になる事ができました。
そしてそれはもちろん誰でも出来る事です。
そのある事とは…
ふふふ、続きは今日の夜配信予定です(^^)
今日も顔晴っていきまっしょい!
p(^-^)q
やりたい事を見つける専門家
「自分学」主席講師 黒瀧