琴線に触れる


という美しい言葉がある。


これは、


人間の心の奥底にある感じやすい心情を

弦楽器である琴の糸になぞらえて表現している

言葉である。


この言葉の由来を遡ると、

古代中国にたどり着く。


古代中国に

伯牙(ハクガ)という琴の名手がいた。


その伯牙に鐘子期(ショウシキ)という友人がいて、

鐘子期は伯牙が奏でる琴の音を聞いただけで、

その調べにどんな思いが託されているのか、

そこに込められた曲趣を違うことなく見事に聴き分け

伯牙の心情・曲の趣旨を理解したという。


その様子は

春秋戦国時代に存在したと伝えれている(実在したかどうか不明)

列御寇の著書とされる

「列子」があるが、

その列子八編の第五編に湯問の章

十二話に次のように書かれている。

*書き下し文の次の口語訳を書いています。


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○書き下し文


伯牙善く琴を弾き、鍾子斯善く聴く。

伯牙琴を鼓(ひ)きて、志 高山に登るに在れば、

鍾子斯曰く、善い哉、峩峩(がが)として、泰山の如しと。

志 流水に在れば、

鍾子斯曰く、

善い哉、洋洋として江河の若しと。

伯牙の念う所、鍾子斯必ず之を得たり。


伯牙 泰山の陰に遊び、

卒(にわか)に暴雨に逢い、

巌下に止りて心悲しむ。

乃ち琴を援きよせて之を鼓く。

初め霖雨の操を為り、

更に崩山の音を造る。

曲奏する毎に、

鍾子斯 輒(すなわ)ちその趣を窮む。

伯牙 乃ち琴を舎(お)いて歎じて曰く、

善い哉 善い哉、

子の聴くや、

夫れ志の想像すること、

猶吾が心のごとし。

吾 何に於てか声を逃れんやと。


○口語訳


むかし、伯牙は上手に琴を奏で、

鍾子斯はそれを聴き分けたという。

伯牙が高山に登ったときの心境を表現しようと琴を弾けば、

鍾子斯は

「ああ、素晴らしい。

その音色はまるで高くそびえ立つ泰山のようだ」

と言った。

また、大河の流れを表現しようと琴を奏でれば、

鍾子斯は

「ああ、素晴らしい。その音色は広々としていて、

まるで揚子江か黄河の流れのようだ」と言った。

このように、伯牙の表現しようと思うことを、

鍾子斯は必ず理解していた。


あるとき、伯牙は鍾子斯と泰山の北に出かけ、

思いがけず暴雨に遭遇し、岩陰で雨宿りをしていたが、

心は悲しみに閉ざされた。

そこで琴を引き寄せて、これを即興で弾きはじめた。

はじめ「霖雨の曲」を作り、

つづいて「崩山の音」を奏でた。

演奏するたびに、鍾子斯はその心境を言い当てた。

伯牙は演奏の手を休めて、感嘆してこう言った。

「ああ、なんと素晴らしいことだろう。

君が僕の琴の音を聴いて、

そこに込められた真意を感じ取ること、

すべて僕の意図と一致している。

君にはいつまでも僕の琴の音を聴いていて欲しいものだ」と


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このように、伯牙の親友である鍾子期は

伯牙が奏でる琴の音を聞いただけで、 

その歌の趣意や、彼の心情を理解した。

この様子から、

心の底から共鳴し、理解して、感動する様子を


琴線に触れる


という言葉が生まれてきたのだ。


さらに、この伯牙と鍾子期のエピソードから


知音


高山流水


という言葉が生まれてきた。


「知音」は、

鍾子期が伯牙が奏でる琴の音だけで

伯牙の心情を理解したことから


心の通じ合った真の友人


という意味で使われるようになった。


「高山流水」は

伯牙が、

高い山に登る気持ちを琴の音に託せば、

鍾子期が

「ああ、素晴らしい。 

その音色はまるで高くそびえ立つ泰山のようだ」 

と伯牙の思いを理解し、


また、

伯牙が、

大河の流れを表現しようと琴を奏でれば、 

鍾子期は 

「ああ、素晴らしい。その音色は広々としていて、 

まるで揚子江か黄河の流れのようだ」


と必ず、伯牙の思いを鍾子期が

違わず理解したことから


「優れた絶妙な音楽の演奏」

「自分を理解してくれる真の友人」


という意味として用いられれるようになった。


そして、

伯牙は鍾子期が亡くなった時、

奏でる琴の音を真に理解してくれる真の友を

亡くした悲しみから、

弦を断ち切り、二度と琴を奏でることをしなかた。


そのエピソードから

極めて厚い友情によって結ばれた、親密な交わり

という意味で、


断琴の交わり


という意味が生まれた。


ネットより引用



(´-`)笑いとか 落ちとか無いです はい