第二次大戦で焼失した電車・客車の骨組みを利用し、適当な資材で応急修理した客車を「戦災復旧車」と言います。元電車のものも、客車として復旧しました。

 しかし戦後落ち着いてくると、みすぼらしいので旅客用から外れ、荷物車になり、さらに救援車となりました。救援車とは、事故が起きた時の復旧用資材を積み込んだ車両です。

 電車の救援車はクレーンやジャッキも積んでいますが、客車は資材を積んだだけです。

出番はほとんどなく、錆びだらけで車両基地の隅に放置されていて、いつの間にか消えました。実態は台車のついた倉庫でした。
元半流線形の電車クモハ60をオハ71として復旧後、スユニ72を経てスエ71とした車両。元運転台側は丸妻。

元寝台車か食堂車だった車両をオハ77として復旧後、マユニ78を経て救援車スエ78としたもの。3軸ボギーを履く堂々とした車両。

20mの客車をはじめから荷物車として復旧したマニ74を改番したスエ71.
17mの客車をオハ70として復旧したものをスニ71に再改造後救援車にしたオエ71



京都ー西明石間の、東海道・山陽本線の各駅停車の電車を、「京阪神緩行」といい、以前は茶色の旧型国電が使われ、「茶坊主」と言われていました。

戦前は3扉クロスシート・半流線形の51系でしたが、戦後は横須賀線と同じ3扉クロスシート・流線形の70系が加わり、混用されました。

特に半室グリーン車のクロハ69は、70系にはない形式なので70系編成にも連結されました。

そのクロハ入りの4両編成を作ってみました。

なお、70系は、顔や台車が同じ80系とは違い、在来車と混用するのが前提で、京阪神では51系のほか、73系も編成に混じり、横須賀線では51系を関西に集めたあおりで転入してきた43系や従前の32系、それにグリーン車は80系のサロ85を混結していましたし、一時は73系や、40系の中間車モハ30・さは57も連結されていました。中央東線でもモハ71の不足からモハ72850番台やクハ79と混じり、逆に晩年は仙石線や飯田線には中間車のみ旧型車に混じりました。

70系だけ、それも全部300番台の編成は阪和線にしかいませんでした。

 80系は、ブレーキや幌の幅の関係で、他の旧型車や新性能車とはそのままでは混結できず、80系だけで編成を組むのと対照的です。

何はともあれ、これで70系の、スカ色(青/クリーム)、新潟色(赤/黄色)、阪和色(エメラルドグリーン/肌色)に続き茶坊主が加わり、全色コンプリート出来ました。