『今…戦時中を考える』
自宅にある南滿洲鐵道パシナ形蒸気機関車の模型をモノクロ撮影しました……。
南満州鐵道は昭和20年までは日本人が開発して日本人が管理していました
蒸気機関車でありながらスカイブルーの鮮やかな車体で冷暖房用装置完備、最高速度110km/h、牽引される客車も展望席や食堂車付の超豪華車輌特急あじあ号……。
しかし、これらの車輌の行方は旧ソ連軍が満州侵行以後行方がわからず、日本に帰ることができなかった…。
その後…パシナ751が1984年に、パシナ757が2001年に中華人民共和国で発見された情報のみ。
南滿洲鐵道の鉄道員がお父さんの家族も、満州に家族を残して異国で兵隊として戦争をするお父さんの家族も……離ればなれのまま家族全員で戦って戦死や捕虜になったように、南滿洲鐵道車輌も解体や日本人攻撃用貨物車輌の使命のまま帰国できなかったのだろう……。
昭和20年8月15日以降、戦争を絶対にしない宣言をした日本人は、絶対に現在でも戦争をしない証明と正義を世界中にアピールしなければ行けない
『D52形蒸気機関車』
JR横浜線淵野辺駅近くの神奈川県相模原市の鹿沼交通公園に保存されているD52 235を撮影しました
8月6日~15日の日本人の誰もが昭和20年の同じ時期を考えますので、当時のような感じでセピアに……。
すると……やはり戦争経験車ですね……すっかり当時の空間になります。
戦後65年は長くもあり、写真のカラーを帰るだけで当時を思えるほどの短く変わっていないという表現も否定できない……。
このD52形は保存状態も良く今にも動きそうだけど、戦時中は鉄が不足して木材部品が多いながらもデゴイチを越える出力で活躍した機関車

現在は丈夫な姿で健康な感じ
遊ぶことができなかった青春時代のD52形だけど、こうしてみんなと遊べる公園で保存されているのだから、年寄り扱いせず友達仲間として語りあい、そしてもっともっと尊敬してほしいです


『過去の失敗』
この写真は高校2年生の頃、JR山手線・代々木駅で撮影した103系電車
手前の柱にピントが合っていて車輌は小さめでぼやけているし、もちろんヘッドマークの『1988.6.26』の運転最終日は判明しづらい………いわゆる失敗写真です
しかし……22年が経った今見ると………不思議ですね……瞬間写真としてはムード満点に思えてならないんです
柱や壁は現在と同じ塗装ではないし、雨天でぼやけて感じは、涙でハッキリと見えない感じとか……。
実際山手線103系の運転時代は、非常に長かったのだから何かを思い出す涙は共感があるはず…。
『失敗はコレ』っていう定義はわからないのですが……定義なしでこういう発想もアリなのかな?へへっ


