学生時代の思い出 <国鉄 京都駅> | EF16_6の鉄ブログ

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鉄道写真撮影記録
主に京阪神のJR線で旧国鉄車両を中心に撮影しています。
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会社帰りに、大阪駅前第3ビル地下にある「交通趣味ギャラリー」のショウケース
を覗いてみると、国鉄時代の車掌腕章の中に ”旅客案内” 腕章を発見!懐かしくて
思わず購入してしまいました(^^)。
イメージ 1
イメージ 2新品未使用で、昭和52年(1977年)製。
実は今から35年以上前の学生時代に、この腕章を巻いて国鉄京都駅でアルバイト
をしていました。高校時代の鉄友と一緒にやっていましたが、まさに駅員さんの
お仕事でした。

かなり昔の話ですが、アルバイト内容は以下のとおり。

■業務内容
 ・ホームでの旅客案内業務(以下に詳細)

■装備品
 (1) 国鉄の帽子
 (2) 笛(今は無くなりましたね。替わりにワイヤレスマイクでしょうか)
 (3) 赤旗(緑旗とセットが基本ですが、2本持つのは邪魔なので赤旗1本。
    乗車OKであれば巻いたままで突き上げて合図。非常時は赤旗をバタ
    バタさせて合図。という作法でした)
 (4) 旅客案内の腕章

※現在のアルバイトは専用服が用意されているので駅社員と区別がつきます
 が、当時は白シャツに国鉄帽子をかぶっていたので、アルバイトながら、ほと
 んどの人が国鉄社員と思ったはず。こんなところも時代を感じます。


【駅ホームで旅客案内詳細内容】

・朝、駅に出勤すると、以下の1~5までの仕業のどれかを助役さんから指示
 されてホームに着任。

1)1番線(東海道上り:優等列車ホーム=現0番線)

 (1) ホームで旅客案内
  -比較的楽。たまに来る外人客には英語が通じず苦労した記憶が・・・
 (2) 優等列車入線時のマイクアナウンス
  -雷鳥、比叡、ゆのくに、立山、平安・・・廃止が増えてきた頃でしたが、それ
   でも結構走ってました。
 (3) 優等列車のツカ時間&乗車率記入
  -立ち客の具合を見て、これくらいだったら120%かな~と、かなりいい
   加減に書いてました(笑)
 (4) 貨物通過時、ホーム上で確認とツカ時間記入

 ※列車が来るまでホームの詰所の中にいられたので、楽なホームでした。
  たまに運転主任さんから「おれの帽子(赤帯)をカブっていいからツカ確認
  してきて」とか、今ではあり得ないことですが色々なことをさせてもらった
  思い出があります。

2)2-3番線(東海道上りホーム)
 (1) ホームで旅客案内
  -昼間は行き先案内多し。「”のす”行きはどこ?」、「いえ、”やす”ですね」
   など、おばちゃんの相手。
  -ラッシュ時は駆け込みするサラリーマンのためにドアをつかんで手助け。
   笛を吹きまくってました(^^)。

3)4-5番線(東海道下りホーム)

 (1) ホームで旅客案内
  -上りホームと同様の仕事内容

4)新幹線ホーム(下り側)
 (1) ホームで旅客案内
  -ほとんど聞いてこられる人はいないので楽ちん。
 (2) 自由席待ち客の整列
  -ほとんど必要なし。

 ※一番楽なホームでした(笑)。夏場は暑いので、列車が入線すると当時車内
  装備されていた冷水機から水をいただいて喉を潤し、ビュフェの販売員
  (日本食堂、帝国ホテル、都ホテル、ビュフェとうきょうの4社が入ってま
  した)に可愛い娘がいないか探したり、新幹線ホーム担当を命じられると
  「ラッキー♪」でした。

5)山陰線ホーム
 (1) ホームで旅客案内
  -ここはポケット時刻表を持っていないと怖いです。
 (2) 自由席待ち客の整列
  -2列整列をさせても、10分後には列が崩壊!待ち客が言うことを聞いて
   くれなくて、非常に疲れるホームでした。

 ※当時は非電化で、夏場に気動車が入ってくると灼熱地獄のようで、待ち客
  が言うことを聞いてくれないことと相まって、山陰線ホーム担当の時は
  本当に憂鬱でした。学生時代に山陰線沿線の撮り鉄写真が極端に少ない
  のは、この職場体験による拒絶反応かもしれません(笑)。

 今では常時ヘッドライトを点灯していますが、昔は点けていなかったので、
 ホームに入線してくると球切れ確認の為にライトを点灯するウテシさんも
 いました。その時には手をくるくる廻してOKサイン。。。なんてことも
 していました。どれも懐かしい思い出です。

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鉄好きが昂じて、4年間も夏季休暇期間と年末年始の繁忙期に働きましたが、
国鉄・その他鉄道会社関連への就活はしませんでした。もう充分経験出来たと
当時は満足してしまったようで(笑)。

現在のJRでは女性が活躍されていて、改札や旅客案内のみならず、ウテシさん、
車掌さんといろんなところで働かれていますが、1980年代初頭には国鉄現場は
男の世界で、女性を見ることは全くなかったです。
なので最初鉄道現場に女性が進出したときはかなりの違和感を感じましたが、
最近ようやくその違和感もなくなりました(^^)。

イメージ 3
長々と回想録を書いてしまいましたが、この国鉄京都駅のアルバイトで稼いだ
お金で最初に買ったのが、Canon 旧F-1。こいつを相棒に第一期撮り鉄時代に
入っていくことになります(^^)。