今日は、朝からものすごく絶望的な気分でした。



というのも、



自分の家族は皆発達障害・アダルトチルドレンの家系で、

母が直に死に、父親も後を追ってすぐ死に、

私は兄の世話と家事だけの引きこもり生活に疲れて、

ストレスで自殺するか、病気になって孤独に死ぬか、どっちかなんだろうなという脚本になっているという直感が頭の中をずっとぐるぐるしているからです。



この感覚は、母が癌とわかる前に、



2月の終わりに兄が家に帰ってくる時に、

部屋が読んでもいない蔵書だらけのゴミ屋敷だったことや、家賃を1年以上滞納して、いずれバレるってわかっているのに平気で親に嘘をついていた時にひらめき、



今のところ実際にその通りになっています。



病院に見舞いに向かう途中もずっとこの考えばかりが頭を巡っていたのと、



今日はもう一つ、自分もかなりのASD傾向が

あると気づいたことで、愕然としました。



兄はかなり鈍感なタイプなので、

細かいことに気がついたり、失敗をカバーしたりすることができず、私はそれを見下していましたが、



私だって大概で、


・人の気持ちがすごくわかる時と無神経な時がある。


・自意識過剰で、人を気遣っているふりをして、自分にしか興味がない。


・自分を俯瞰できない


・何か自分で動いたり、決断することがどうしようもなくできない


・喋り方が子供っぽく、訥々と理屈をこねる


・マルチタスクが苦手で、ちょっとやるとすぐ疲れる


・被害者的、他責的



こんなところが、発達障害だなあと思って、

そうなるとこれからの自分の人生は辛いだけだという展望です。



はあ…なんとかしようとカウンセリングを受けているけど、それも虚しいと思ってしまう自分がいます。



でも、今、この状況でできるのは、

自分を責めないことだと思ったので、



帰ったらお灸をして、デパスを飲んで、

ゆっくりしてたら、少し嫌な気分が減りました。



私のように、親と同居して精神疾患になったアダルトチルドレンは、

親を離れて、神経疲労を回復させる必要があるみたいです。



母の件が落ち着いたら、


どこか遠くの自然の綺麗な場所でのんびりして、


自分が発達障害だとかそんなことはどうでも良く過ごせたらなあと夢をみてます。




そういうことを考えると目の前の料理や家事も、

少しやらされている感が減って落ち着いて取り組めました。



今日は、筑前煮とハンバーグと冷凍のチヂミと、昨日の残りの小松菜のおひたしで済ませました。



こういう時、自己肯定感の高い人なら、

料理捨てた父親にはもうご飯作らないんだろうな…



喜んで食べているのが、むかつくけど少しだけ嬉しくて、複雑です…




明日は、母が退院します。


母も、見舞いの時、病院の食事食べれるかわからないから、菓子パンを持ってきてくれと女中に言うように指示し、差し入れても特にお礼もありません。

イライラします…