祖父が老衰で亡くなり、本日葬儀を終えました。
脳梗塞で倒れ寝たきり13年。
厳しすぎて、いつも怒っていて、私には恐怖と制限そのもののような存在。
だから、大嫌いと言っていいほどの感情があった。
祖母が介護をする姿を傍で見ているのが苦痛で、
そして自由に過ごす事の出来ない家での日々はとてもとても重く苦しかった。
何度も何度も家を出る事に葛藤したけれど、
母の居ないこの家庭を見捨てる事ができなかったし、私もこの土地に豊かさを感じていたから留まった。
去年くらいから祖母も弱り、吐け口がこちらに向き、状況も酷くなり、家が本当に嫌で私も忙しく寝に帰るだけ、帰りたくないから帰らない日々がしばらく続いた。
ある日痴呆が始まり、家に帰ると騒ぎ出す祖父。
徘徊しようと夜中にベットから落ちる毎日。
こんな毎日気が持たないと思ったけど、
意識が訳分からなく、子供のように騒いでは落ち着き、そして何よりも脅威的だった人が弱り小さくなっていく姿に悲しみの気持ちが一気に溢れた。
初めて何かをしてあげたいと思った。
それからは必ず家に帰り、確認の毎日。
ある夜、騒ぎ混乱する祖父に気づけば肩を摩りケアをする自分がいた。
今まではありえない感情だった。
怒鳴られ罵声を浴びせる祖父が今では私より遥かに小さい。
とにかく守らなきゃって思ったし、
肩を摩りながら感謝の気持ちが湧いた。
祖父は表に見える愛情はくれなかったけど、
厳しさという形で精一杯私達を育ててくれた。
今の私がいるのは、母の離婚の選択から始まり
何の間違いのないこの環境があったお陰。
今回、より実感させられた。
寂しさと忍耐、我慢、たくさんの制限と生き辛さ。
人生の前半でたくさん経験し、学び、今がある。
這い上がると決めたから、這い上がってこれた。
負けないと決めたから、今も妥協しない。
諦めないと決めたから、希望に向かって人生を描ける。
大人になったら絶対に幸せになると小さい時に決た。
大嫌いだったけど、最後の一カ月で好きになれて本当に良かった。
ただただ感謝しかない。
いなくなって解る事がたくさんある。
後悔はあっても、あの時その一瞬に気持ちを込めて肩を摩る事ができたから悔いはない。
どれだけできたかよりも、
その一瞬にその人の心に心で寄り添うことの方が大事なんだなって思う。
不思議なほど涙が出てくるのは、
祖父からの愛を確かに今受け取ったからだと思う。
今、とてもしあわせです。
あなたのおかげ。
ずっと歩けなかった分、自由に安らかな時を過ごせますように。癒されますように。
ありがとう。
この土地の農業の先駆者、自然と共に生きた祖父を誇りに思います。
Mahalo nui loa.2015.5.21



















