先日、娘と会話していて「中学受験ここまで必要ですか?」という話です。
塾の難関校向け理科の人体に関するプリントの過去問で「卵円孔」が出てたとのこと。
娘から「卵円孔って知ってる?」と聞かれましたが、私も妻も聞いたことがなく初めて知りました。
調べてみると、出生前の胎児は胎盤から酸素が供給されており、心房に穴が空いているのが卵円孔で、肺呼吸しなくても全身に酸素が運ばれるようになっていることが分かりました。
産声を上げて、肺呼吸が始まると自然に卵円孔は閉じられ、跡だけが残ります。
「ふ〜ん、こんなことまで塾で習ってんだ!」
と思ったわけです。
塾のプリントは、駒場東邦の2011年の過去問から出題でした。
2008年 明大中野、2009年 海城、2011年上述駒東、2013年 吉祥女子、2015年 桜美林で出題されているようです。
このレベルだとどうやら中学受験では押さえておかないといけないようです。
エデュパパは、知はオープンエンドと日頃から思ってますので、この知識は何年生にならないと早すぎるという議論は好きではありません。
しかし、普通は高校生物で学ぶ知識を中学受験でわざわざ出題する必然性があるのでしょうかね?
知識のみ増やせば合格に近づけるという力技の出題傾向は正直好きになれません。
受験はクイズではないので、単に知ってる、知らないで合否が決まるのはナンセンスだと思うのです。
子供が生物に興味を持って、自発的に人体図鑑や医学書を読むのであれば、これこそ真のアクティブラーニングであり、理想的だと思います。
しかし、出題のネタが通常の中学受験レベルでは出し尽くされたので、高校レベルの知識までテーマ性なく出題してるとしたら、いかがなものかと思います。
少なくと駒東の過去問を見た限りではそう感じました。
もし私が出題者であれば、魚類→両生類・爬虫類→鳥類・哺乳類の脊椎動物の進化の過程で、血液循環の特徴を比較させ、その上でえら呼吸から肺呼吸への進化の中で卵円孔の機能を記述させるような出題にしますね。
難関校であれば、生物・人類の進化、宇宙論のロマン、現代に教訓として繋がる歴史、哲学、宗教、文化なんかのテーマ性を持たせた出題にしてほしいです。