これまた、少し遅い話題ですが高校球児特待生制度について。


西武の裏金問題から始まったこの問題は、結局高校球児が犠牲になったと思うのは私だけでしょうか?

もちろん、汚れなき白球の元において金銭の授受というのはあるまじき行為です。


しかし、甲子園常連校や各地区強豪校が特待生制度を使って有能な生徒を集めているのは周知の事実。

まさか高野連が知らないとは考えられない。

今更ながら野球憲章たるものを持ち出して、関係者を切り捨て保身に走るやり方は少々強引なのではないでしょうか?

今まで暗黙のルールとして存在し、特待生制度を利用して入学してきた生徒は運がなかったで済まされるのでしょうか?

今、一番可哀そうなのは責任を負わされた生徒たちです。

高野連は自分たちの保身のためではなく、野球界発展のためにまたこれから未来ある子供達のためにこの問題を公平に

焦らずゆっくりと解決すべきだったのではないか。




先週の中ごろ、43年ぶりに全国学力一斉テストが実施された。

私たちの時代に行われたテストと異なり日常生活に関わる問題が多く見受けられた。

そして、記述式の問題も多く、自分を表現する力が低下してきている現代の子供たちにとって考えさせられるテストだったのではないか。


新聞等で現場の意見を見る限りでは、このテスト実施に対して賛否両論。

どちらの意見も今の教育現場を反映していた意見に思えた。

確かに問題としては良問も多かった。

しかし、私は何も全国一斉に実施する必要はないと思う。


文部科学省はゆとり教育による学力低下を懸念して、大急ぎで現在の学力を把握しようとしたに過ぎないのではないか。

現段階ではこのテストにも改善の余地があり、また私学の4割はこのテストに参加していない。

そのような状況で一斉に学力を診断したとしても正確な結果を得ることはできない。


テストを実施する前に、上のお偉いさんだけで計画を進めるのではなく教職員、保護者、有識者などより多くの意見を情報を集めてから実施すべきではないだろうか。

 私がAustraliaで一番最初に受けたカルチャーショックは授業スタイルの違いでした。


 教師が話をしている時の質問は当たり前、時にはそこからディスカッションが始まる事もありました。

すべての学校がそのようなスタイルではないと思いますが、通常Australiaでは意見を活発に出し合ってディベートしていく授業スタイルが多いようです。

教師は授業中に発言する生徒が大好きです。

明確な意思表示をしてもらうことで生徒が何を考えているのかわかるからです。

特に私たち日本人には常に発言を促していました。文化の違いもあるし、何を考えているのか想像がつかなからです。


 当初はこの授業スタイルに慣れるまでに時間が掛かりました。

私が日本で受けた授業スタイルは教師が黒板に書いた事をただひたすらノートに写すスタイルが主流だったからです。


 現在、日本の教育制度改革も進み、授業スタイルは私の時代と変わっているでしょう。

しかし、多くの日本人はディスカッション・プレゼンというものが苦手だと思います。

それは、授業スタイルにも原因があるのではないだろうかと私は考えるのです。


皆さんは学生時代どのような授業スタイルでしたか?

ユニークな授業スタイルがありましたか?

今後の参考までに、ご意見お聞かせいただきたいです。